吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

この世に必要なのは愛と愛を愛だと知る勇気*1

愛の話をしようじゃないか。

この世には圧倒的に愛がたりない。
愛が見当たらない。愛が不足している。愛が見えない。愛が感じられない。愛が見えない。
愛のことを考えると愛のことで窒息しそうだ。

そもそも愛とはなんなのか?gooの辞書で調べてみよう。

あい 【愛】

(1)対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。
(ア)相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。
「子への―」「―を注ぐ」「―の手をさしのべる」
(イ)異性に対して抱く思慕の情。恋。
「―が芽生える」「―を告げる」「―をはぐくむ」
(ウ)何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。
「学問に対する―」
(2)キリスト教で、神が人類を限りなく深くいつくしむこと。
(3)〔仏〕 人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛
(4)他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ。あいきょう。

あなたが誰かを批判するときそこに愛はあるだろう。
愛がないなら、そこにあなたが存在しないですよと素知らぬフリをすることだ。
なぜ、あなたはあなたではない誰かを何かのことをそんなにも考え、関わろうとするのか。
そこに愛があるからではないのか。

愛がなくちゃはじまらないみたいだ。
愛がなくちゃなんにもできないみたいだ。
愛があれば何でも出来るのかもしれない。

それが悲劇でも喜劇でも不幸でも幸福でも自己犠牲でも自己愛でも批評でも批判でも作品を作ることでも作品を壊すことでもサークルをクラッシュさせることでもサークルを作ってつなげて広げることでも歌うことでもブーイングを飛ばすことでも耳をそばだてることでも耳をふさぐことでも好きになることでも嫌いになることでもちゃぶ台をひっくり返すことでもちゃぶ台を元に戻すことでも相手を貶めることでも相手を褒め称えることでもなんでもかんでもなんだってどうであったってそうしてしまう理由にはすべて愛のせいなのだ。

すべてが愛のせいなのだ。
例え、それが歪んでいたとしても。

残念ながら歪んだ愛では愛は相手に伝わらないので、今まで無駄な愛が一方通行なまま無数に散らばって砕けた。愛と一緒に心も砕けた。もう愛なんて誰かに関わろうなんて思わないと絶望したりもした。

私たちは愛について知らなすぎたのだ。

愛は単にエネルギーなのだ。それに好いや悪いが付加される。突き詰めれば単に愛でしかない。愛とはそういうものなのだ。そういうものらしい。そういうものだと思い込む。

行動してしまう誰かに作用してしまう誰かと関わってしまう、その根底には愛があるということを知る。

ならば、私は許そうと思う。
どんなことでも行動する勇気を持った誰かのことを蔑んだりバカにしたりすることができるだろうか?

そこには愛があるのに。

愛がないのは何もないこと。何も関わらないことだ。ほんとうに愛がないならその場から立ち去ってしまえばいい。そうしないのはどうしてですか?ドアは開いているのに。あなたはどうしてその場に立ち止まってしまうのでしょうか。そこにあなたを受け入れてくれると期待したからではないでしょうか。あなたの愛は空回りなのか。それを知る受け入れる勇気はあなたにあるのか。それとも自分自身にしか向けられていない自己愛なのか。

行動する、愛の理由を考えよう。
どうして、私はこうしてしまうのか。
どうして、私はこうなってしまうのか。

突き詰めればそれは、正義のためなのかもしれない。
突き詰めればそれは、お金のためなのかもしれない。
突き詰めればそれは、誰かのためなのかもしれない。
突き詰めればそれは、自分のためなのかもしれない。
突き詰めればそれは、相手のためなのかもしれない。

未熟な愛、幼稚な愛、自分勝手な愛、気ままな愛、八方美人な愛、意味不明な愛、犯罪スレスレの愛、合法的な愛、勘違いな愛、秘める愛、伝わる愛、話し愛、労わり愛、家族愛、兄弟愛その他いろいいろ無数にあって、いろんなことを愛している。愛されている。

どうも愛とはそういうものらしい。

実は、世界は愛で満ち溢れている。
愛が時には残酷で美しく悲劇で喜劇で幸福で不幸なのはそういう理由。
愛はエネルギー。だから、愛を責めないで。

そうすれば腹も立たないし、傷つかない。インディアン嘘つかない。

愛のある世界に生まれて良かったね。