永遠ズ語り
人はどこで感動するか影響するか作用するかなんて作っている人は考えなくったっていい。というか考えることは不可能。猫が顔を洗うだけで号泣する人もいれば真鍋かおりにTB受けて感動する人もいれば明日晴れただけで心が動く場合もある。それはそれぞれが育ってきた経験してきたことが違うからだ。結局、心が動くのはタイミングであってこの世には残念ながら動いたことで変わらないことはない。自分が変わらなければ世界は変わらない。どんな些細なことであれ変わろうとする人のあげあしをとるのはあまりにも幼稚である。世界はいつも変わらなくて変わるのは自分の視点だけ。だったら私は幸福な視点を持ちたいと意識する。私が世界は素晴らしいと言えば私の世界は素晴らしいのだ。行動の原動力はすべて愛だと。そしてそれが悪くても良くても愛なのだ。世界は愛に満ちていてだから歪んできれいで汚い。不幸で幸福。作用の波紋を追って眺める。流れ続ける水はきれい。澱んだ瓶の水は腐って濁る。ただそれだけだ。傍観して諦めきっているよりはずっといい。悪い事なんてちっともない。下品か上品か。好きか嫌いか。憎むか尊敬するか。ただ、それだけだ。そしてそれをどうこうしようなんて言えるのは神様にでもなった気分で言えるわけはないので。私は漠然と心の作用を眺めて見つめてどうするか決める。自分の好きしか信じられない。それが一番、強い気持ちなので信じたい。そして、それはわりと良い。
不満があるなら提案しろ、行動しろ、歪んで高見で笑って蔑むのは下品で嫌いでカッコワルイ。
未来のことを考えたい。未来のことを考えたいのだ。希望に満ちた未来のことを。