<表現者としてのテレビジョンの可能性>
ひとつの問い、ひとつの答え、それにすべてを仮託するつもりはない。
ここにひとつの答えがある。それは茫漠として掴みがたい。が、ここには底光りのする精神がある。にこりとした魂がある。何でもないことさという人間がいる。そして、<機能の万能さの不毛>を裏返して、それ以外の何物でもない、それ自体の表現としての在り方を示唆する。彼はある日、こうも言った、”テレビは目で噛むチューインガム*1”。
くり返すが、ひとつの問い、ひとつの答えにすべてを仮託するつもりはない。
問 テレビジョンになにができると思いますか。
「お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か」萩元晴彦 村木良彦 今野勉 著
今ならこの「テレビジョン」を「インターネット」に置き換えてみると納得できる。