吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

ナルニア国物語とポポロクロイス物語と妖精王のこと

 帰りの飛行機で映画をしこたま観ていた私。飛行機の中ではファンタジーがいいと私は思っていて、いつもならハリーポッターを観るのだけど、入ってなかったので、ナルニア国物語を観た。以下、ネタバレ含むので要注意。

 物語の説明をしながら自分の感想をまぜこむ手法でいつものとおりに書かせていただく。
 イギリス戦火の中、田舎に疎開する4人きょうだい(兄、姉、弟、妹)。疎開先の家はハイジのロッテンマイヤーさんのごとき鞭をふるうオールドミスのマクレディさんが子供達を子供らしく楽しむことを疎ましく思う。でも、彼女はこの家の主・教授の仕事をサポートするのが第一の仕事。子供よりも教授に迷惑がかからないようにふるまわなくてはいけない立場である。しかし、それを子供達は知らない。だから、この家で子供達は窮屈を強いられる。いつもなんとなく怯えて気を使いながら暮らさなくてはならないから、子供達は行き場がない。

 そんな中。鬱屈とした気持ちを払拭するためにかくれんぼをすることに。一番したの妹君・ルーシーが空き部屋の中にある衣装たんすを見つけ、慌てて隠れる。毛皮のコートをかき分けて、奥へ進む。その衣装たんすは異世界に通じており、ルーシーは雪に覆われた冬将軍の国・ナルニア王国へ誘われる。そこで、パーンのタムナスさんに出会う。赤いマフラーと鼻が気になる感じの好青年だ。

 少女は、はじめて兄、家族以外の異性と出会う。そして恋とも言えぬ友情を芽生えさせる。タムナスさんは半身野獣のクリーチャーだが、ルーシーはその見た目にたじろぎもせずに、素直に彼の言葉を聞き入れる。タムナスさんは言う「これから私の家へお茶を飲みにきませんか?」レディとして扱われたルーシーはおしゃまに「ええ、いただくわ」と言う。タムナスさんは伝説を知っている。この世界は氷の魔女が支配する恐怖政治の世界。いにしえの予言によれば、冬のナルニアを春に変えることができる勇者「イブとアダムの子供」が現れる、そして、それがルーシーたち兄妹であると。

 ルーシーは現実世界へ戻って、兄妹にナルニアの話をするがけんもほろろ。空き部屋の衣装タンスを見に行くがやっぱり、異世界と繋がってるようすはない。でも、ほんとうなのだとルーシーは言う。もし、これがほんとうなら、きっとストレスをためた小さき少女が世界との唯一がナルニア王国であったのだ。私はそれを責めないだろう。

 ある日、夜中に目覚めたルーシーのあとをおって、兄のエドマンドがナルニア国を発見する。あの、あきべやの衣装タンスの中で。ルーシーが言ったことは嘘ではなかった。そこで、氷の魔女と出会う。氷の女王は彼が一番はじめに接した姉や母親以外の大人の女性。彼が思慕の念を抱いたかのように見えた。氷の女王は言葉たくみに彼の好きなターキッシュデライトでまるめこむ。エドマンドは弱い心で次に兄妹を連れてくると約束する。氷の女王の目的は伝説のアダムとイブの子供達を殺し、自分の栄光を続けさせることだ。

 野球をしてガラスの窓を割った4兄妹はマクレディさんのお叱りから逃げるために衣装タンスに潜り込む。そして、4人そろってナルニア王国へ。そこで、ルーシーは私の言ったことが正しかったでしょ!と得意げ。兄も「信じるよ」ごめんというすまなそうな感じ。今までぎこちなかった兄妹が少しうち解ける瞬間。

 で、タムナスさんの家へ行こう!とルーシーがせっつく。けれど、タムナスさんの家は荒らされていた。タムナスさんは警察という自称する氷の女王の手下である、狼・セタに連行されたあとだった。彼は人間の子供をかくまったことによる、刑を受けると書かれた紙を読み、ルーシーは心をひきさかれる。ルーシーは自分のせいだ、タムナスさんを助けたいと兄妹に哀願する。けれど、姉のスーザンは「警察に任せましょう。私たちには無理」だとヤル前から諦めてる。
 そこへ、ビーバーの夫婦がやってくる。タムナスさんの友人だ。アナグマと掘った穴から命からがらセタから追求から逃れる。そして、勇者アスランに会わせたいと願う。彼ら兄妹がこの世界を救う勇者だと、伝える。
 エドマンドは自分のした行為で見知らぬタムナスさんが困難な状況に追い込まれたと直感する。
 その話をしている途中、エドマンドはその場から居なくなる。自分が信じた氷の女王のことが気になるからだ。多分、エドマンドは氷の女王に恋をしていて(本人は気づかないけど)女王が悪いとは思えなかったのだ。けれど、女王は冷たく、エドマンドを道具のように扱う。ひどい仕打ち。ターキッシュデライトなんてもうもらえない。
さるぐつわにロープでがんじがらめ。
 先に捕まっていたタムナスさんを「オマエが密告したから彼はこうなるのだ!」と目の前で氷漬けにされる。恐怖を植え付ける。どうしようもないのかと諦める。

 連れ去れた弟を想う。兄妹達は逃げゆくさなか、サンタクロースと出会う。彼らがかの地へやってきたことによって世界は少し緩和されたのだ。少し、春に近づいた。希望はある。絶望だけのなかからその希望を見つける。サンタクロースは彼らが闘うための武器を渡す。長男のピーターには勇者の盾と刀「これを使う時は近い」、長女のスーザンには弓矢を「信じて撃てばかならず命中する」、末っ子のルーシーには一滴で傷が癒える薬と小さな刀。「これが使うことにならないと良い」と。そうか、ここでエドマンドは居ない。サンタクロースにプレゼントをもらえるのは嘘をつかない正しい子供である。甘い誘惑に惑わされ兄妹を嘯いたエドマンドへの仕打ちはこれか。

 そして、彼らは逃げおおせ、アスランに出会う。アスランはベースキャンプでケンタウロスの兵を率いるライオンだった。アスランは賢い。賢い大人だ。子供達は今まで賢い大人に出会ってなかった。氷の女王の手下が徹底的に愚かしく描かれていることに注目したい。アスランの兵は意志をもってアスランの部下である。彼が選択することが間違っているわけではない。アスランはまず、力による暴力に訴えることはしない。彼はちゃんと、氷の女王と対話する。話し合って、テントの中で二人。夜のテンとはどうなって!と大人は邪推したくなる。しかし、女王の色香に惑わされることない、賢いライオン・アスラン。交換条件を飲み、エドマンドの救出を希望する。

 解放されたエドマンド。二人だけで話したいと、アスラン。何を話していたのか私たちはわからない。けれど、アスランは戻ってきて兄妹たちに、間違いは誰だってあるのだ、それを許して先を見据えよう。今はただ、彼の帰還を喜ばしく想おうと、言うのだ。兄妹達はそれに従い、そう、ほんとうはそうしたっかた、ほんとうは第一に兄妹の無事を喜ばしく思い、抱きしめたかった!と言わんばかり。だけど、アスランがそう、提案しなかったら、彼らは素直にそう、できただろうか?
 エドモンドはバカにしていた兄妹の思わぬ愛を受ける。そう、彼はもともと愛されていた。それが不器用で伝わらなかっただけである。兄妹達の軋轢は急速に氷解していく。自分にない、何かをもった一人の人間として認知しあうのだ。尊敬する気持ち、他者の多様性を受容する。

 しかし、実はアスランがした取引はそんなに用意ではなかった。彼は自分の命を差し出すことで、エドマンドを救う約束をしていたのだ。アスランがベースキャンプから抜け出すのをルーシーとスーザンは見つけ、彼を尾行する。出会う。少しだけそばに居て欲しい。それがうれしいなんてアスランは言う。賢い大人の象徴であるアスランも神様ではない。そうやって揺れ動く。気持ち。そして、その弱みを子供に見せる。子供達はそこで、自分が必要である、と感じる。無関係ではない。ちゃんと私たちは繋がっているのだ。
 
 アスランは氷の女王の供物としてその命を投げ出す。石段の上でがんじがらめにされ、彼の誇りである象徴としてのたてがみを切られてしまう。アスランは目先のプライドに左右されない。そこで、無様な姿を見せたって、エドモンドを救うを選択するのだ。ああ、かっこいい。かっこいい大人ってこれだ。私はこうありたい。と感情移入する。ライオンに。


 私はすっかり物語の中に引き込まれ泣いてしまう。それぞれがめいめい自分の意志で闘っている。お互いが一緒の価値になるわけではなく、それぞれの多様性を認めている。そういうものに弱いのだ。悪くなるより、良くなる世界を所望する。目先の嫉妬やくだらぬしがらみに囚われず、自ら選択する。そして、間違ったっていくらでも修正できるのだ。考えないモノは死んでいる。妖精王で山岸凉子はモノローグで言わせた。考えるモノは生きるモノ。賢く生きよ。と。

 アスランは結局、どこかに属することもなく軽やかにカテゴライズを無視して森の中へ消えていく。当事者として問題に向かうことができる時だけ現れる。そう、ポポロクロイス物語で闇の王ダークは自分に直接関係のない事象に加担できない。と地上への派兵を断った。それが冷たいひどいというむきもあるかも知れない。非難される。けれども、そこで、当事者でもないダーナがぼくは大きな兵を持ってるからきみに加担して気持ちよく正当防衛で人を殺そうと言うならば私は彼を非難しただろう。ピエトロは自分の犯した罪を受け止め、その責任を負わされる。たった、10歳がだ。けれど、彼はそうしたことで、もっと強くなれた。彼が失敗したからって大人は非難しなかっただろう。


 ピエトロは自分の責務を負った。
 エドモンドは自分の間違えを謝る余地を持った。

 どっちだって正しい子供だ。エドモンドは来年、サンタクロースに会えるだろう。彼は言動が一致しなかったのだ。お父さんが大好きで、命からがらお父さんの写真を取り戻しに家へ戻ってしまうのだもの。ピーターの上からモノを見るようなエラソウナ態度に辟易してしまったもの。その気持ちもわかる。彼が幸福であれと、私はターキッシュデライトを所望する。どんな味かしら?

 このお話しは子供しかターゲットにしていない。大人があれこれほころびを言うのは容易いが、もし、自分が子供だった時のことを思い出してみよう。この情報量がちょうどいい。はてしない物語グーニーズスタンド・バイ・ミーを観たときと同じ興奮だ。ただ、正しい。安心してこれは良いと肯定できる物語が向けられているのは好ましい。私はいっそう、物語が書きたいのだと想う。物語の素晴らしさに私は希望を持てるのだ。