吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

デフォルトで調子が悪い

以下、10日くらい前に書いたテキスト…。現在進行形で調子が悪いのでそのまま載せておく。補足しつつ。なぜ、こういう告白をするかというと体調が悪いというと心配してくださる心優しき読者の方がいるからだ。メールなどほんとうにありがとうございます。うれしいです!でも、申し訳ない気持ちにも…。病院に通ってるので一応、病名はわかりました。というご報告も兼ねて書いておきます。金曜日にちょっと無理してしまったので土日月と寝込んでしまいましたが、いい加減、復活します…気は持ちよう。とりあえず、熱は上がったり下がったりを繰り返しているのが気になりますが…。そもそも体調が悪いのがデフォルトなのでがんばります!長いのでよっぽど興味がある人しか読まなくて良い。こんな辛気臭い話、興味がないひとは無視すればいい。こんなことで得しようなんて思うほど図々しくはない。


 ここ数週間、ずっとそんな調子だ。熱が続いている。今まで自分の体温は35度台だったのにここ数週間6度後半〜7度後半あたりをうろうろしている。今も微熱がある。常にあるのでこれがふつうなんじゃないかという気がするが判断力が鈍ったり、単純なミスをしてしまったり、注意力がかなり散漫になっている。体が常にダルいために思考能力が低下している模様。
 とりあえず、今日一日、ジョジョを読破しつつ、クーラーの部屋で静養していたがあまり変化がない。ただ、16時間くらい眠っていたので(眠いときは具合の悪いとき)やっぱり調子悪いんだろうなーと思うがいかんせん私は自分の体調の悪さを把握しづらい鈍感さなので、見た目でわかる変化がないと何もしないことへの罪悪感が増してくるのでイケナイ。とりあえず、熱があるということが体調不良である、という印であるとして、無理せずできることをしたがる。漫然と何もしないわけにはいかない。少しでも何かをと思う貧乏性なために体調の悪いときはマンガを読んだり本を読んだりテレビを見たりビデオを見たりするのであった。寝ながらできることしかしない。メールを書いたりなど熟考しなくてはならないことがこうやって先送りになる。寝床にあるパソコンでメールの確認などできるようにすればすむ話だがその設定をするのがめんどくさい。何もかも億劫である。手足に熱がこもり、アイスノンはすぐに溶け出す。

 血尿宣言から早数週間経つ。いままでの具合の悪い症状のすべてがこれでまかなえるという医師の診断を得、なるほどなーと納得。珍しい症状らしいので今後、詳しく自分の状況などをメモっておこうと思う。ネットで調べてもあまり書いていない。

 悪性高熱症
 http://homepage3.nifty.com/JMHA/What%20MH.html

 こないだ痛めた臓器のせいか判然と体調は戻らないまま、うすぼんやりとして、しなくてはならない決定事項の35%くらいしか処理できていない。最優先事項から片付けているがこの処理能力の低下は致命的である。しかし、ここで自らの潔癖さを発動し、自己を責める側になると精神的にまいってしまうのは目に見えて明らかだ。精神からまいることは私はめったにないが、体調からまいることは多々あることを経験上知っている。自分を甘やかすんだッ!みんな私を甘やかすんだッ!と強要したくなる。←多分、これが目的。あさましい!風邪の時はもれなく桃缶を食べれると思っている子供みたい。

 んで、この悪性高熱症という症状だけど、私はこの素因があるらしくたびたび、全身筋肉痛になり背中がバキバキになり立ってられない座ってられない腰を曲げられない便座に座るのも難しくなるほど全身の虚脱と激痛が走るのはこのためらしい。私はずっと生まれてからこのかた、この症状をインフルエンザだと勘違いし、急性腎盂炎だと医者に診断され入院させられ(呪!このとき、この病気だってわかってれば!!!)、ギックリ腰かもしれないと整体に通い(実際に筋肉が収縮するので間違ってはいなかった)、生理前緊張症候群のひどいやつだと思って婦人科に通い(子宮に疾患があったため結果的に良かった)、ある時はエコノミー症候群だと診断され点滴だけを打ったり、健康診断で肝機能障害が出て酒を控えたり(これもこの症状のせい。根本的解決になってません!)、水を多めに飲む生活にしたり(水ではダメだった!)、ポカリスエットのほうがいいらしいということでポカリ生活に切り替えたり(これは良かったようだ)かなり迂回しまくっていたが、やっと(後光)私の症状に病名がッ!!って、この病状だけ説明して、上のリンク辿るとかなり多くの人にビビられる珍しい病状なんですが。なんつったって、この症状でちょう怖いのが筋肉が収縮して溶けるというところ。そんなスタンド攻撃みたいな状態になっていたのか私の体はッ!んで、その影響で溶け出した筋肉が血液に流れ込みそれを漉すための装置である腎臓や肝臓が急激に悪くなってくるらしい。兆候は全身筋肉痛。しかも、これ突然なるんですよ!ただ、予防するためにすることがあって、炎天下歩かない、体を冷やす、クーラーをつける、無理しない、こまめに水を摂るなどであった。しかし、これがふつうの状態に比べて過酷!前に入院したときになった要因であるが久我山の上り坂を上って降りたというだけで発症!たしかに30度以上あったがしかし、その程度で?みたいな感じである。今回は30度ないにしろ1万歩歩いたのが良くなかったらしい。でも、ポカリスエット飲みながら歩いていたのに…。おお、神よ、私には真夏のアウトドアすべて禁じられるのでしょうか…。

 って、考えてみると私は集団行動がまったくできない学生時代をすごしていた。体育をさぼり続け、夜型の生活をして学校に遅刻し続け、中学のときにプールには一回しか入らず、高校はプールの授業はなかった!そして、なによりも名古屋という都市は地下街が発達しまくっており、炎天下外に出ずとも移動できるすぐれたもぐら都市!その上、生まれてこの方、クーラーのない生活をしたことがなく、うちの父親はちょう暑がりであったためにつねにクーラーの温度は16度!そして、私の住んでいた家は自衛隊が近かったからその一帯全部にクーラー完備。小学校から二重窓、クーラーガンガンの夏なんです。んで、子供の頃から汗をかくというのがカッコワルイし、日焼けすると肌が赤むくれになって肌がパンパンになって痛い思いをするだけだから、常に日陰者! 中学校では吸血鬼かと思われる徹底的な日陰者ぶりを発揮。教師よりも遅い時間に登校。社長出勤ですかの様相であったのだが、今、思うとうすうす自分がそういう症状がある、ということを知っていたような気がする。中学校の時は2日起きて1日寝るという変な習慣であったがあれ、今考えるとちょう理にかなってたわ。私、絶対、かたぎの生活って向いてない〜とか思ってたけど、向いてないどころか、無理じゃんか。という衝撃の事実。体は正直だ。しかし、そうやればかなりこの症状にならないらしいから、ちょっと本気で考えないと生命の危険にさらされることになる…。とりあえず、自分の体がふつうじゃないということを理解しなくてはならないが、樋口アサじゃないけど、「できる人ができない人にできるハズっていうのはマズイんじゃないんですか」って多くの状況でそういうふうに言い出したくなるくらい愚痴っぽくって自分が嫌になってくるが、ここで今まで私は我慢してしまっていた。できない、と言えない性格なのだ。これをわざわざこうやってインターネッツに書くことで覚悟しようと思ったのだった。そんな覚悟の場か。ここは。

 鬱病だ精神病を公言する人に対する圧力ってあるけれど、あれって私は公言してもらったほうがずっと良いと思っている。多分、多くの人は自分が同じ状態でないため、病に関して軽視してしまうのだと思う。経験しなければわからないし、想像の範疇にないという悲劇。わかえりあえないのはしかたなし。もちろん精神病では自ら死のうとしないかぎり、健康体であるかもしれないけれど。そこだけをつくわけにはいかないだろう。だから、余計に詐病をする人はもっと糾弾されなくてはならないと思う。お前だけが楽するために他人を貶める図々しさはどうなんだ。
 また、いいところとして同病者の意見交換ができるところがいい。同じ病でも症状は微妙に違うだろうから、教科書どおりにはいかんのだ。

 話はそれたがそんなわけで、私の病歴から考えるとこの症状を発症したのはラピュタが公開されたあの年だ。私はボーイスカウトに関係するわりとハードなキャンプツアー1泊2日小野田少尉が講師できててなんか本買わされたやつ(うろ覚え)に友達が行くというので行った。ちなみにその時、仲の良かった同級生の男子2人も参加させるという小学3年にしてプレイガールを極めそうになったりしたが、ムロンこの症状発症のためロマンスはもずくではなく藻屑と消える運命!
 当日、キャンプ会場に着いた私はこのキャンプ恒例だという池に叩き落されるイベントを逃げ出し、最後までバンガローの中こもってそのことの始終を見つめていた。ちなみにこのバンガローむっちゃ池の近くで空いた窓からそのすべてが見えた。ゾンビのように池から這い上がる同胞を尻目におびえ慄いていた。途中、友達が引きずりだそうとバンガローまでやってきたが汚れた体でバンガローに踏み込むことは禁じられていたため、急死に一生を得る。
 そのあと、年齢を詐称し、年上の友達のグループに潜りこもうとしたところ、お縄ちょうだいになりこっぴどくしかられ同い年前後2歳のグループに放り込まれる。班長は社長というあだ名であった。

 初日の肝だめし夜中の歩け歩けツアーからどうかしていた。歩いている間中、水分補給が許されない。それでも1時間ほどの距離である。多少疲れはするがなんとか切り抜けられる。しかし、帰るのはバンガロー。硬い木。痛い背中。よく眠れず、トイレは蝶や蛾がいっぱいで怖くて仕方なく躊躇。なるべく我慢。水もふんだんに飲める状況じゃねえー。

 2日目のハードに歩く炎天下のオリエンテーション。探す場所。探す番号。歩く先。先に行ってとグループのみんなに言いながら歩く。自分より年下が私の荷物を持ってくれる。屈辱よりも申し訳なさと不甲斐なさ。自己管理ができていないだけ?など、自罰的な気持ちになりながらゆらめく坂の上を夢想して、私は頂上で飲むペプシのコーラが格別だという友達の言葉を反芻する。これだけつらいならどれだけおいしいだろう。その間、水分補給なし! その前に脱水症状になるつーの!あとはで知ったが上級生らはポッケなどにアメちゃんなどを忍ばせて餓えをしのいだという…。

 んで、段々、私のことなど助けられないくらいにみんなが消耗してくるのが見て取れる。「ちょっと休憩してから追いつくから…」と逃げ道を用意。疲労困憊のほかのメンバーに引導を私たその時! 引率のスタッフに見つかる。「いっしょに歩きましょ!」まるでキラキラした瞳に蹴落とされその後30分ほど歩く。わざとらしくコケてアスファルト手に着いて熱い。その熱、今も知っている。二度と立ち上がらない。立ち上がれない。立ち上がるつもりなどない。すでに足腰はがくがく背中はふつーなら次の日になるみたいな筋肉痛。知らない感じ。太陽ギンギラ。手が背が熱い。じりじり。でも、空は曇ってる。いっそ雨でも降ればいいのに。湿度だけ高く、体に熱がこもるかんじ。出てくる汗も噴出すようなものではなくじわりじわりとにじみ出る酸性な汗。冷や汗?
 私はやってきた救護車に乗る。頂上まで15分くらい。なんだ、これなら歩けば良かった。もっと無理すれば? でも、横になったらもう、ぜんぜん動けない。友達がペプシコーラを持ってきてくれる。コーラをはじめていっきのみ。くちびるはかさかさ。完全に熱中症。水も飲ませないんだからこうなるのは仕方ない。けれどこうなったのは自分一人だけ。もともと風邪気味だったのではないか?と疑ってみたり。でも、ここで水分が取れるのは食事のときだけって状況がまず、間違ってないか?もらえてもぬるいあついお茶だったしな。

 それから私はずーっとバンガローで横になる。まったく出ない。班のものが食べ物を運んでくれる。すっごいお姫様待遇。申し訳ない。しかも、3口くらいしか食べられない。最悪。最悪のまま、引率者に背負われ解散する名古屋駅。うちの親が迎えに来て何かいろいろ話を訊いている。なんとか歩く。車に乗る。それから数日のことはよく覚えていない。麦茶をたくさんのんだ。そして寝込んだ。

 あの感じである。その感じを追体験したのが4年前の出来事でそのときは急性腎盂炎と診断されたのだが…。いまだにあれは誤診じゃねーのかと思い出すとむかつく。セクハラもうけたし。最悪な入院体験だった。けれど、一つすっごい感動的なことがあったのでそれを思い出すとまあ、良かったかなーとも思う。それはまた別の話。