吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

もったいないから教えてあげない

 私の脳味噌ぐるぐるシャッフルがんばり物語はおいておいて、先日は薔薇を生む、わたし。薔薇を愛でる、あなた。に出演していただいた方、お手伝いしてくださった方、お越しいただいた方々には大感謝しております。好きだー。好きだー。好きだー。と連呼。だって、どう考えてもオモシロクね?みたいな自信満々さとあちゃーもっとこうすればこうできればさらにこうすれば的な理想と現実のギャップに毎回、苛まれますが結局、これが正解だなんてもんはないので、生まれてきたもんは肯定するしかないわけです。ないかも知れないという可能性を考えているだけ無駄。あかなめは風呂場の天井にいるんですと妖怪の存在を信じるワタクシ。そっちの方が楽しいからな。

 前回もそうだけど、自分の中でオモシロイ、オフレポートが書けるのだが、それを敢えてしないのはもったいないからの精神が発動するからだ。楽しいことを分かち合いたいのはその場にいる人と私たちだけの秘密というのもなかなかロマンチックじゃないですか。なぜ、その場に関わらせようとしているのかという意味が薄れさせるつもりはない。その価値がある、ということだけが伝わればいいなあーウフフーとか思っているのであった。

 言葉や作られたものがその人のパーソナリティーとは無関係で発せれることはない。言動が一致している人の話は明晰で矛盾なくてオモシロイ!ということを知ろう!というよーなことを考えていてイベントをはじめたわけですが、なんとなく2回やってると漠然としてた部分がだいぶ、わかってきた感はある。そして、司会者の役割分担なども見えてきて(もちろんはじめから理想はあったが)ずいぶん、動きやすくはなってきた。しかし、あれがそれでこれがあーでこうなるともっと良い!と思う部分がまだまだあるので慢心しないでいきたいのであった。あったあったとなんだそれは。

 私がやりたいことというのはありえない場所でありえない誰かと誰か、何かと何かを感覚でリンクしていく。そのセンスが求められてる。昔、音楽のイベントを定期的にやってたときもそうだったが、出合わせるということをよく考える。この考えとこの考えは似ているが、既成概念によって結びつかない。もともと別物であるというが、その実、とてもよく似ている。ならば、出合ってもらおうそのあとのことは知らない。と化学反応を起こさせるようなことをやってしまう。だって、そこがつまらないならここがあるよと世界の多様性を見せたくなるのは何故か。前衛家の仕事はそういうことなのだ。ってホントだろうか。

 ありえない何かと何かがつながる瞬間に劇的ロマンチック。言葉の出会いや音の出会い。なんでもいいが、今までにありえなかったモノ同士をお見合いさせる月下氷人でありたい。そして、そこから生まれる何かに出会いたいのだ。という考えがあって文章などは書いているのだが、ありがたいことに依頼がある理由がなんなのか自己評価が常に低い自分はわからないでいたが、そーゆーことかー。とか思う。情報は集めようと思えば集められる。集められない情報もある。集められていないなら集めればいいじゃない。そこにないなら作ればいいじゃない。世界がないなら作ればいいじゃない。世界があるなら愛せばいいじゃない。その世界が好きだけど不満を感じるなら良くすればいいじゃない。私はそれを情報以外の感覚で結ぶというのが得意なようだ。長所を活かせ。そして、正しい情報を編集して伝える人やそれ愛する誰かを愛せ。世界の平和は愛することからはじまるみたいだ。