吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

あーオモシロイ

 オモシロイことが同時多発的におこりそうな予感ーというか、起こすつもり満々な春爛漫ですがなんかします&なんかする。夏は体調崩すことウケアイな予定満々ですがなんとか体に鞭を打ってがんばる所存ではありますが!漠然とこうじゃねいかと思っていたことがいろいろ人の話を訊いてみたりして確信に代わりつつあります。センスいいなーこいつなんかやるなーと思っていた若い衆が続々とラノベやマンガ家としてもデビューしたりして相変わらず自分の目のつけどころがシャープでしょ視点に自信を持つばかり&世界はまんざらでもないなーとかね。なんか、自分がいいなーと思ってた人が受け入れられるとすごくウレシイよね? 嫉妬とか全然、しないんですよね。したほうがいいのか?いや、しないほうがいい。だって、自分がやらなくても誰かが良くしてくれて自分が出来ない何かを見せてくれたら全然、うれしいじゃんー。 もちろん間違えることも多いけどな!7割くらい当たってます。80年代生まれの若者おもしろいよ。その傾向はなんなのか人と話していたが「おもしろいけど打たれ弱いのが80年代の若者の特徴。オモシロイことを考えているんだけど、誰かに叩かれるとすぐにひっこめちゃう。センスはあるが言語化する能力を持っている人はまだ少ない」という話をして、妙に納得。私は未来に期待したい。

 私の世代も男子はそういう特徴があるが、女子はしぶといイメージが。そこがカッコイイとこでもあるけど声の小さい人だけどオモシロイ視点があるというのはドンドン発掘していきたいしそういう役回りができいる年になったんだなーと思ってます。あと、オタク文化はかつてサブカルチャーだったわけだけど、今や広がりすぎちゃってその中にもメインカルチャーカウンターカルチャーが分かれている感がありますね。『まなび』はまさにそれ。80年代生まれの人とチャットで話したり、昨日のCLAY花見で話しててその感覚が鉄板だというのは身に沁みた!直感でしかなかったがやはりそうなのかーと。その点でいうと、腐女子という10年前にはなったターゲット狙い撃ちの『金色のコルダ』、王道アニメに対するカウンターともなり得る&斬新が過ぎた『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』と新しすぎる2作品のあとに放映されたなんだかセンスが10年前の『マスターオブエピック・the animation age』の連鎖コンボが起こるのは今の時代ならでは。そこがいいよね!むしろ『マスターオブエピック・the animation age』が今あるこのTV番組戦国時代に感謝したいなどと言い合ったりしておりました。とりあえず、新感覚80年代生まれオタクの人にいまきになるアニメなんですかと訊かれて『大江戸ロケット』と答えたら「グッジョブ!」と言ってたので感覚のズレは少ないようで安心しております。年寄りにはなりたくねー。

 どうも自分は天邪鬼な人間なので「当たり前」とか「正しい」という訳知り顔の何かが苦手です。それよりも「今までにない価値」とか「オモシロイ」が大好物。一つの価値観で塗り固められた世界よりも、さまざまな価値観が拮抗している混沌とした状態のほうが心地いいのです。きれいに整理され尽くしたものの中にいると自分がいる必要がないように思えて。そういう意味でも若い人のパワーとか新しい最前線のごちゃごちゃとしてまだちゃんと整理されていない場所の混沌に常に身をおいていきたいな。いつも、どこにいてもちょっと居心地が悪いくらいのほうがいい。ここがちょうど自分の身の丈にあったぬるま湯にはいたくない。楽だけどね。

 そういう何かを支援したいし、何かしたい。最近、人に会うたびに「何かしましょう!」っていっちゃう。自分だけで完成できるものじゃない、想像以上の何かに関わりたいな。