吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

何かと何かを出会わせる月下氷人に

 今後も、自分がオモシロイと思うもので、ネットにない情報、評価基準が定まっていないものを、わかりやすく、興味が持てるように、紹介していくということをもっと意識的に行っていこうと思います。ネットだけじゃなくってレビューとかの仕事はもっと積極的にやろう…。そういう地道な努力が少しでも誰かの役に立てるかもしれない。発見がないと発展もない。発展するためには土壌が必要。なんとかなるよじゃなんともならんことも多いので、好きという気持ちは言葉にしていこう。声出していこう。むしろ自分がなんとかしてみせるよくらいの気概があったほーが良きことかな。そういう姿勢を貫いていれば、それがオモシロイと思ってくれる人も少しは増えるかもしれない。

 って、やりたいことがあるということはいいことだ。好きなものを漫然と好きになるだけじゃなく、創造的に何かを好きになって「どうして自分がこれを好きなのかということを意識的に自分の言葉にしていく」ってことは、楽しいことだと思います。
 私は受け手にわかりやすく、伝わりやすく、手に取りやすくする努力は作り手は常にしなきゃならんと思うけど、伝えたいものを無理に歪曲しないと「売れない」から根っこの部分を変えるってのは結局、受け手に絶望してるってことだと思う。「私はこれがオモシロイと思うけど、わかってくれるだろうか。きっと誰か必要としていてくれる」って、受け手に期待して、差し出せなくなったらさみしい(つーか金の問題でそういうことができにくくなっている現実がイマココですけど)。受け手と作り手の間に信頼関係みたいなものがないような、消費だけの関係がもてはやされるよーになると、継続することが難しくなる。売れているだけが、絶対の価値観になっていく、売れてからしか出会えなくなるよーになると、多くの人が好きにはならないかもしれないけど、私はどうしようもなく好きを見失ってしまいそうで。声の小さきものの声を聞きに行きたい。そういう人がいてもいいと思うし、自分はそうでありたいと思うなー。

 「売れない」から出せないって言われるうんざりより、「オモシロイ」から出そうぜ!っていう、言葉がいっぱい聞きたいですよ。そんで、やっぱちょっとでも言葉でレスポンスあってさ、「オモシロかった!」つって一言でも言ってもらえればその言葉で何年もがんばれるもんなんだよ。後悔先に立たずですから。言いたいときに言わないといつのまにかどこにもないになっちゃったりして。文化的なものってのは妖精や妖怪と一緒だから、存在を忘れたらいなくなっちゃう。誰かがいなくちゃ存在できないかすかなもので、そういうものだから私は音楽というメディアがあまり押し付けがましくならないで、慎ましやかで好きなんだ。愛がなくちゃ生きていられない。だったら私が愛してあげるっ☆なのがいいな。とか思ったりしたのであった。でも、無理しすぎると自分のものが作れなくなるのでできる範囲で私が出会った好きは言葉にしていこう、これからもー。

 そんな余地があるなら自分がここにいても良いってことみたいに思えるじゃないか。







 さあ、現状の確認は済んだ。
 あなたなら、どうしますか?
 どうせなら、未来のある話をしよーぜ。
 嘆いている暇はない。