吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

うおおおおおおおお

 すっげーここ近年にない落ち込みを見せていましたがなんかすごいうれしいメール×コンボ!明けない夜はないっ!って自分が一番、知っているはずなのに人にはいくらでも声かけれるのになぜ、自分のことだとできないんだと思って余計に落ち込んでいましたが、結局はそれって誰かが私に声をかけてくれる余地がある証拠だということか。自己完結すんなってことなのか。

 なんか私が一番、言われて落ち込むのは、そこにいるはずの何かをそこに存在しないかのように扱う人だ。すでにあるものを「そんなはずはない」「それ以外の意味はない」と勝手に限定して自由を失わせる。一方的な決めつけと、その人に見える世界のすべてで意味を成す。それしか意味はないなんて言い切る神様のフリした人間が嫌いだ。それ以上に価値はない他に理由はないと矮小化していく。自分が間違っている?なんて一度も疑問にも思わない姿勢だ。謙虚さのかけらもねえ。だけど、私はそれが嫌で鈍感になんかなりたくないとつっぱねていたが、徹底すると傷つくのは自分だけだという悪循環なわけで、よーするに、鈍感になれ。痛みから目を背けろ。君子、危うきに近寄らずだ。とはまっとうなんだけど、やっぱどっかで引っかかってる。でも、嫌いだ!と認識できただけ、自分の中で世界が変わった。私は誰かを嫌いだと思えなかった。合わない、今は、ダメっていう線引きはあったっていい。嫌いだと思うのは自分が未熟なせいだ。許せ。許せ。と、ほとんど脅迫概念になってきてそれが自分を追いつめていた。でも、やっぱりそう簡単に許せるほど心が広くはないし、嫌なことは嫌だって表明しないと、同じ残酷な言葉は繰り返される。そして、そのたび、自分は傷つかないフリをし続けなければならない。もう、そういうばかばかしいことは無理だ、と諦めるしかないんだというところまで、悩み抜いた。恐ろしいことに自分の記憶力は他人よりも異常な部分があるので、一度言われた言葉をすべて痛みとなって、積み重なってた。あまりに鮮烈に全部覚えていて自分で自分にヒいたわ。大丈夫なフリに慣れすぎて、自分を見ていない。そういうことばっか。気がつくと、精神的にキている。楽しいことの終わりに猛烈に寂しくなる。

 まあ、でも精神的にバランス欠くのは創作の病だ。んで、いつもひどいことを考えるたびに「これ、ネタになんねえかなあ」ともう一人の自分が分離して頭がどんどんさえざえとしていくんだよね…。感情的な自分をおもしろがってるんだよね!って話を人にしたら「それは心療内科とかいけば全部説明つくと思うよ…」言われたのであった。それさえも、ネタに…とか思うんですけど、たぶん、なんかやってる人はみんな思い当たると思う。よね!?悲劇は滑稽なんですよ。ほんとは。って頭でわかっていてもそのときは…。そのときは…。追い込まれるなきゃ、道は見えない。