吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

佐藤実(m/s, SASW) + 吉田アミ ontonsonにインタビュー掲載されました!

http://ontonson.com/interview/index_2.php

 いつもお世話になっておりマウスontonsoに新譜' COMPOSITION for voice performer (1997 and 2007) 'を記念してインタビューが掲載されておりマウス。チュー目です!君に鼠六匹です!アルバムの制作過程秘話などの他、90年代の音楽を取り巻く状況についても2,3話しておりマウス。当時は場所も聴客もいない状況で音楽として認められていなかったための苦労話なども。
 
 以下は蛇足と前衛音楽一般雑感と啓示。まとめる気はありません。
 
 90年代後半はフラットな場所で観客と同じ音を演奏者が聞いている…という聴取の仕方がまだ、ポピュラーではなかった頃、アートの現場から新しい提案があったというわけだったんですが、10年くらい前の話となると今やすでにこれも一つの?型?になってしまってますね。知らない人からすると「?」なわけですが、昔は音楽といえばライブハウスでっていうのしかなかったんですよ!知ってました!? 当時、音楽以外は全部ノイズだったしね。1ジャンルのみ。音をでかく出すということだけがアイデンティティというだけの時代もあったようなわけです。90年代テクノ以降、DJ文化以降、音楽の聴取方法がぐっと多様化しました。メインとサブしかなかったような時代から今や何がメインだかオードブルだかわかりません。
 
 今、私は音楽で新しさを感じるって言うともう、音楽以外の異ジャンルの召還かキメラか格闘VSからしか未来を感じません。深化して進化するのみ先鋭化は想像するのが容易すぎて、つまんねーとなってしまった。新しさだけを感じたいのなら、の話だけど。新しさを追うだけで満足できた時代は終わったんだなあーと2008年は思います。いわゆるゼロ年代的なパフォーマンス主義から放たれて総合芸術として寄り添っていく方法が活路になっていくかもなーと。ダンス×音楽とか。演劇×音楽とか。文学×音楽とか。本業プラス副職で開花していくというか。客の目が肥えて要求が高くなったということがクオリティの向上に繋がって、そもそも苦労してまで金にもならない名誉にもならない活動を志すハードルと意味がだんだんとなくなっていってるんですよね。それでも、なお、やりたい!、やらなければ・ならない。それしかない。の飢餓感と切迫感のある者だけがしぶとく創作に携わるわけでそうなってくると自己顕示欲の強い作品ばかりが目について…。となってくる反面、肩の力を抜いた副業からあれよあれよとオモシロイものが出てくる可能性が。ダークホースがジャンルの垣根を取り払いつつ、一方で日夜ジャンルは形成され、消費されていくというイタチごっこは続く。そして、消費される頃には口当たりまろやかな今までの既成ジャンルに回収され名前だけが変わっていく。名乗る名さえない状態が一番、ホットでオモシロイと思うんだけど、サブカルチャーが蔑称とされる理由がそこにあって、言葉にならない説明できない理解しにくい新しい萌芽であるから完成度が低く、答えがないから価値がないとされてしまうこと。それはそれで「しか」ないものではなく、それはそれ「でも」や「かも」の広がりと曖昧であやふやさがあって、評価されることを免れる宿命だから、一般に浸透しにくい。よく言う「サブカルは浅い」という評価はおかしな話で、深い=言葉で説明できること。ということになってないか? そういうものをありがたがっていないか? 真理だなんて限定していないか?
 
 嗚呼、私は言葉に捕捉されてそれでしかなく矮小化していくことを嘆く。
 杞憂すべき問題。これは、停滞だよ。
 
 私たちは騙されて要るんだ何かが形成されていく瞬時。疾走している最中ではなく、死んでから(そのジャンルがそれだと認定されてから)しか、認められないということ。そこで、出てくる言葉は「早さ」だと思うんだけど、みんな何かに捕まりたくてトロトロ走ってる。そして、迎合されて喜んでる。駿馬。高速の麒麟を認識・しない。要るのに、だ。駆けていく刹那を感覚こそを、今、そこに生まれていない、評価できない、何かを。誰かのルールで評価するのではなく、新しいルールの更新を。何処かで見た読んだわかりやすい評価の仕方を疑え。
 
 言葉を更新しろ。私たちの言語の限界を、疑え。私は逃げ・なければならない。最適化されていく世界からの逃走だよ。なんだ、この苛立ちは。何に対しての?私は呆れている。自分に。
 
 そう、たぶん、今、提示して変わっていかなくてはならないのは、新しい評価の仕方。更新されるべき、新しさを求めるのは創作物へ、ではない。進化するのは、90年代までに整地されつくした、「良い/悪い」の評価。受け取り方のルール。そこが、一番、変わっていない。そこが、一番、つまらない。そこが、一番、変わる余地がある。売れるものが良い。や、新しいものが良い。良くできているものが良い。青春を人質にするから良い。ノスタルジーだから良い。完成度が高いから良い。あまたのルール。だけではない、新しい評価の基準。そこを想像し「創造」すること。
 
 そこにだけ、興味があるなあー。というわけで、私が今やりたいのは断然、あれなんです。作品をどう楽しむのか、の新しいルールの提示。そこに創作性と進化の余地を感じるのですが生半可なことやってもしょうがないので、自分の手に余らない・言葉を獲得するために・そこが・そこに・唯一、一縷の望み。手垢の付かない新雪をギュっと踏みつけていく。新しさの。陽の目のない。影の。文脈が分かった上での評価は、文脈さえわかれば、イコールされる、答えは。答えがあることだけが価値にしかならないのなら、想像はそんな貧弱で良いのか? 創造は所詮その程度で良いのか? 問えない答えを。答えにならない問答で。そこに、要る。在る。小さなフレームに収まって・しまわれていく。はみ出たクリームの代過剰分を私は・見・捨てない。拡がりは何処へ行く? 良さの上での好さや善さの提案意外の。害悪だからこその必要性を。見捨ててきた・私たちの一部を。取り戻していく。そこに実体があり、そして、何もない。何も・ない。滑らかな骨子。軟体の嘘。
 
 言葉はもっと自由で良い。
 答えを書くことだけが、言葉の要素ではない。
 言葉は魔法を取り戻す。
 呪文だ。
 世界に魔法を賭けるのだ。ファンタジア。
 
 とかくこの世は夢がない。ならば、振ろう。タクト。キーワードは混乱。辞書から解放。文字もじ呪文もんじゃ・で、カラフル・な・ビューティフル・夢・煌めき・憔悴・溜息・・・・・眩暈・・惰気・・・の・他意・ダーク・必至の!!!!!!!! 影さえもなだらかで燻し煙り消失するとき、未揺る膜を割くのさ。必咲の上昇だよ。熱を帯びて籠もって由く術らかく轢く。幽。ほろほろしさ。残る過。射抜いていくのさ言の波で。麒麟を。あとは微睡みの中へ。魔法の杖。夏日。切り。陽。の・黒。シッ。