やまだ紫さんのこと
http://blog.goo.ne.jp/shiratori-chikao/e/1e52e967ddbc45f459913990d219020e
http://natalie.mu/comic/news/show/id/16241
やまだ紫さんが永眠された。
先日、打ち合わせでお会いした方に教えていただき、夫の白取千夏雄さんのブログで知らされる経過を祈るような気持ちで読みながら夜中にシクシク泣いていた。悲しい現実について書かざるを得ない心情を慮ると、書いてしまう書き手の性と、書かねば整理がつかない気持ちが痛いほど伝わってきた。まるで恋文だった。
本棚から1993年2・3月号の『ガロ』やまだ紫特集をひっぱり出してきて読み返したりしていた。内田春菊が千夏雄さんのことを「ものすごくナイト気質で、いつもやまださんを後ろに回して楯と槍を構えているんだわ。」と称していて、最後にこう結んでいた。
きっと、もしふたりがこの先別れることがあっても、マドンナが「一番愛してたのはショーンよ」
と言ってるように、やまださんも彼のことを生涯愛していくのかもしんないね。
生涯、一番愛していた。
やまだ紫さんがそう語っている気がした。
ここのところ訃報が続く。
忌野清志郎さんの訃報もつい最近のことだ。私はリアルタイムではあるけど、ちょっと世代がズレているため、清志郎のことを意識したのは『宝島』を読むようになった中学生の頃で、その頃は「原発反対」とか「アルバム発売禁止」の話題でよく知っていた。あと、タイマーズか。
歌詞はもちろん、唯一無二の声であり、その声が「死」によって、永遠に失われてしまうという、当たり前の事実にいまさら愕然とした。
死を偲んで書かれた多くの文章を読みながら、こんなにも切ないのは誰かの心を占め、そして、多くの人に希望や勇気を与えて続けた存在の喪失がどれほど多くの人を悲しませるのかということだった。死の残酷さを考えずにはいられなかった。
作品がこんなにも誰かの心を動かすのか。なんと美しく、そして哀しいことなんだろう。私たちはそれを新しい人たちにきちんと伝えられているのだろうか? 心を、動かされた人は、作品に感謝し、恩返しをしても良いのではないだろうか。
私は自分の作品が認められることも嬉しいが、自分の血肉になった作品に対して、言葉を尽くしたい。他人を利用して自分だけが得をするような文章を書くような恥ずかしい人間にはなりたくない。きちんと、対象に真摯な姿勢で、その面白さ、すばらしさを伝えなくてはならない。襟を正す気分だ。
伝えていくこと。伝え続けていくこと。
当たり前のことだが、私たちはそれができているのだろうか?
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