吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

あと一塊

 で終わるが集中力が続かない。連絡事項もたまっているが、ジョジョー!俺は寝るぞーーーー!

 絶望が希望に追いついてしまったら、どう生きればいいのでしょうか。

 ということを考え、「絶望との共存」を思いついた。しかし、共存するためには納得できる「理由」が欲しいわけで、何かないのかと苦悩していたら図書館でオクタビオ・パスの詩論「もうひとつの声―詩と世紀末」を発見。直ちに手に取ると、来たよ!このしっくり感。実践で導き出した答えが理路整然と説明されており、翻訳の文体もまさしく自分にぴったり。慧眼。光の速さでAmazonで購入した。

 言葉で人は傷つくが、また、言葉で人は勇気付けられるものである。

 早く読みたいな。あとは合間にボルヘス読んでる。何を今更と笑われそうだがこんなときは古典に限る。さらにその合間に小説のネタを考えている。パソコンの前では主にマンガコラムを書いている。それ以外はそんな感じ。今週からはアルバム作りの準備もはじめたい。火曜日の段階でほとんど原稿が終わっているからとうとう、スケジュールより1日早いところまで追い上げたことになるか。うーん。これが思うようにいっていると実感できるようになれば、焦燥感から逃げ出せるのか。憂鬱と発作的な絶望が日常になり当たり前と軽視できるようになってしまえるのか。それが良いのか悪いのかも、すでにわからない。私の未来は私の想像以上でできている。これから先の未来はどうなるのかわからない。それをイコールでないのと同じと感じるのをいい加減やめたいものだ。でも、自分でコントロールできない。手がかりを求める。辛いから。

 ある意味、人生の効率化。