吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

マンガ教室、明日の自分の授業

いろいろ考えながら見ていた。コミナタは便利なのでもっと使われればいいのになどなど。

あと、マンガの「巧い」ってなんだろう?確かにさやわかさんのいう「巧い」は分かるんだけど、この「巧さ」って何を指すんだろう?マンガかマンガでないかの境界線って何処にあるんだろう?みたいな話を人としていたが、結局これは言語化されていない、という話で落ち着いた。しかし、この学校で褒めている「巧さ」「マンガとしての正しさ」というのは、マンガのテクニック論ですでに明らかにされている周知の事実ではあるんだけど。もっと踏み込むと西島大介先生のマンガって、巧い(だけの)マンガではないと思っていて、それは何だろうとか考え始めたら、情報が足りないなあーこの辺は人と一回、じっくり話したいと思った。「巧さ」を越える、「巧い」以外の基準で、となるとみんなはすぐに前衛マンガとかサブカルだのガロ系だのマイナーというくくりをするのだけど、ではそこにはなくて、「巧い」というマンガにあるもの、そして、「巧い」マンガになくて、そういうものにある要素ってなんだろうと思った。前回の絶望先生ないし、まこらないし。ストーリーなのか、コマ運びなのか、絵柄なのか。もしくはそれらに割り振るパーセンテージなのか。すごいマンガにはそれがあると思うのだが。

売れるマンガ、とは何なのか?を考えるたとき、個性と技術的な巧さをどう折り合いをつけるか、にあるような。で、技術は練習でけっこうカバーできるが……しかし。

マンガ学校を見学してみて思ったのは、西島大介という作家のすごさが自分の中でどんどん膨らんでいる。いや、ほんと西島先生のいうさらっとしたマンガ方法論って、それを考えただけで作家性であり、個性であるんだがこんな簡単に披露するなんて大盤振る舞いすぎないか?ミュージシャンでいえば、オヴァルシステムを売り出すようなもんだもんなー。

とかなんとか。現時点で思ったが明日の準備がMAJI☆やばいのでこれ以上は考えません。

あと、マンガについての仕事をマンガの批評家にはじめて褒められたのでやる気でました。まだまだ及ばないですがこのめんどくさいわかりにくいジャンルをやる人いないし気になるのは紛れもない自分なのでがんばります。楽しいけどな!

蚊にさされてかゆい。