吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

だらだら書く日記。無為日記。

 調子に乗っていたんだ。がんばりすぎて、予定を詰め込みすぎて、TO DOをこなせる自分にもっといける、いけるというような感じになり、バーストした。このせめぎ合いと精神力で肉体的疲労を無視し、MPが突然、0になったところで、気がつくというアホみたいな状態を治したい。スケジュール管理ができないというわけなのだが、もっとひどかったときはほんとうにひどくて、何もせずにただ部屋をウロウロしているだけみたいになったりしていたのと、ものごととものごとをひとつひとつ組み立てて考えることができなくなったりしていたので、実はかなりマシになってきているともいえる。イケてた先週までの自分の多幸感とこなせてる感で3倍くらい仕事がすすんでいたし、あのままイケていたらやりたいことは9割は進めていただろう。どうもスケジュール管理とか事務的なことをやる頭とクリエイティブな頭、右脳と左脳なんだか、わからないがこれの切り替えがうまくいかない。感動したり、感情が動いた後にただ人に連絡するとかそういうことが処理できなくなってしまう。待つのにいつまで経っても慣れない。なぜこんなにも待つことが下手くそなのだろうか。こうなってから楽に浮上できる裏技を何個か獲得しないといけないんだけど、緑茶と梅干しが良い気がしてます。正直、体力がないからダメなんだけど。やっぱり、筋トレしないといけない。プロテインはすでに買ってある。無為に過ごす時間というものは大切なわけで人間、全力疾走し続けていたら息切れもしますよ。という話でよいのではないか。しかし、イベントの宣伝とかまともにやっていたら、ほんとうにすごい時間食う。そのせいで肝心のイベントに向けての準備に時間がとれなくなり悩ましい気持ちになり、自分を責めまくる無駄な時間が到来。お客さんが入らないということに関しては敏感であり、人が入らなかった時の申し訳なさとかよくわかっているつもりだ。出演者が宣伝して、内容仕切ってっていうのを一人でやっているとほんとうに挫けるので、そういうことを共有できたり、先回りしてやってくれるスタッフがいないとやっぱきっついなーというのはいま、思っているところで、そう考えると「You酔ば〜」はコンパクトにまとまっている。無料のイベントだし、自分が酒を飲みにいっているみたいなところもあって、集客を考えなくていいというのが気軽るさの秘訣なわけだけれど。

 とにかく今、自分はイベントやライブに関して、記録を撮るということ、それを動画にして、Youtubeにアップするということの必要性を感じている。アーカイブの必要性は前からも言われていたが、いまは、アーカイブにしない、ネットに残さないこと、流してしまうこと、失態や失敗も垂れ流してしまうほうに主流のように思う。大きな内輪の中で参照できないものや出来事がネットのなかで増えすぎている。内容を理解しないコピー&ペーストと熟考しない、子どもの言葉ばかりが大きな声になっている。いつからインターネットは子どものものになったのか。けっこう前なきがする。それをTwitterのせいだと言って毛嫌いするのもどうかと思うし、何が正しいのか何が間違っているのか判別がつかず、自分の気にくわないものはアンチだとかクソリプだとかで切り捨てていいみたいな脊髄反射的な反応をするのはバカだという感覚はもはや通用しないんじゃないのかとか思ったりする。そういう駄菓子みたいな考え方をたくさん見聞きしているうちに筋力が衰え体力が失われていくので、Youtubeばかり見ているとバカになる。でも、バカにならないとやりきれない現実もある。メルモのキャンディー寄こせよ。大人になったり子どもになったり、どんな年齢にもなりたい。おもーい責任とかプレッシャーとかストレスとか感じたくないんだ。好きなことだけしていたいんだ。

文句や権利を主張することばかり一人前で
依存心ばっかり育っちゃって 自分を正当化することばっかり 頭が回って…
プライドも羞恥心もない あるのは自己顕示欲ばかり…
どんな才能があるのか知らないけど 才能を活かした仕事がしたいなら
おもーい責任もリスクも 背負うことになるわよ
そんなの好きじゃないって言ったってね 丁度いい仕事?
わたしは あなたのために花屋をやってるわけじゃ ありません
あなたにとっては たかがバイトでも わたしには大マジな仕事なの
丁度いい仕事なんてない!
ふざけんなってゆーの オタンコナス

(『アマリリス岩館真理子) 

 2003年のこのブログのエントリー数は2083なのである。人の紹介とか何も考えない書き散らしっぷりとか、向こう見ずで傷つくことを恐れない無敵感がある。しかし、今はどうだ。臆病ではなく億劫になっている。怠惰になっている。というように、何かをはじめられないこと、エンジンをすぐに入れられないことで、自分を責めるのがデフォルトになっているのではないか。自信がありすぎるのも自信がなさすぎるのも極端だとダメなんだけれど。もう最高に晴れた正月みたいな空みたいな気分になって、すっきりと目覚めたい。あああああ、まじ、バイオハザード7やりたい。スカッとさわやかコーカコーラみたいな気分で合法的に人殺ししたい。人とは本来、残虐なものなんだよ。バイオハザード7の良いところはすべての恐怖を入れようとしているところ。狂ってしまうこと、愛する人が変わってしまうこと、家族という血縁の束縛から逃れられないこと、マインドコーントロールされること、生理的に気持ちの悪いもの、虫や汚物を映しているところ、画面をやや黄色味を強くして、臭気を感じさせるようにしているところなど、最低に嫌な気分にさせてくれる。あの廃屋の沼の近くの匂いを想像してうっとりする。饐えたカビの腐った血の匂い。そしてさまざまな液体の澱んだ匂い。最低と最高は同意語なので振り切れば振り切るほど気持ちがいい。ファミパンパパことジャックなんかもう、かわいいし、かっこいいとしか思えなくなっている。嫌悪感は許容量に達すると愛おしさに変わるときがある。だから一度、自分を徹底的に嫌ってみたら満足するんじゃないのかな。わたしはイーサンやミアでもゾイでもなく、ジャックになって娘をボコボコに殴りながら謝りたい。エブリンの殺せという命令を聞きながら。自分が狂って聞こえる幻聴なのか、それとも操られているのか判然としない中で、どこかスカッとした気分になっている自分を見つけて、戦慄したいのだ。きっと不安や悲しみはスカッと吹き飛び、何もかもどうでもよくなるだろう。クヨクヨしていてもはじまらない。せめて、血糖値のあがらない唯一のコカコーラが飲みたい。いや、あまり飲みたくないです。バイオハザード7がやりたいだけです。