吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

編集オルタナティヴ講座「世界は一冊の美しい書物へと到るためにつくられている」

 すっかり、オタクネタが続いた当ブログですが私はそもそもサブカルですよ!サブカルエリート!ユリイカの『サブカルVSオタク』で長インタビューが載ったりはじめての雑誌デビューが『DICE』ですから!という人がすっかりこんなになってるのはどうかと思いますが。そもそも頭がオカシイのはデフォルトです。まあ、なるべく「この人って意味がわからない」と驚嘆されるように生きていきたいものですヨネ?私はそうです。簡単に消費なんかされてやらないのがチャームポイント。これからも意味不明の活動を続けていきたいです。

 そんな私が今回、紹介するのは元・ユリイカの編集長、いまやオルタナ編集者として異能の活躍をなさっている郡淳一郎さんと美しい本を作られている間奈美子さんが講師を務めている編集オルタナティヴ講座です。

四谷アート・ステュディウム「編集オルタナティヴ講座」
講師=郡淳一郎+間奈美子
受講生募集中
http://artstudium.org/kouza_workshop.htm#hensyu

「世界は一冊の美しい書物へと到るためにつくられている」として、編集とは世界をバラバラに分解し、使える素材を拾い集め、組み立て直し、世界に投げ返す技術だとする。つまり仕事を自分のものとして所有し、これしかないという形を与えて放り出さなければならない。この講座では、消費者=被害者から生産者=加害者へ反転するための手がかりとして、1年をかけて各自が自分用の「一冊の書物」を編集する。

 という魅惑的な誘い文句が絶妙すぎます。無編集なものに価値が見出される傾向がある中、そんなのつまんないよ!と読みにくいよ!編集した方がいいよ!読者に負担かけすぎだよ!という。乱暴な言い方をすればそんな感じ。しかし、なんでみんな無編集なものが真実だと思いたがりますかね。編集は恣意的にメッセージを伝えるための手段でそういうのはダメだという傾向に私は疑問を感じます。無編集なものは美しくない!じゃないと編集者が存在する意味がない!とかね。効果的に意図を伝えるためには編集されている方が誤読されにくくなっていいです。フォーカスの合ってない視点はスマートじゃない。野暮なものよりよりデザインされた言葉じゃないと弱すぎて届くべきところに届きません。
 そういう美学を学んでみてはいかがでしょうか?ああ、美学って学美じゃねえか!まさに学ぶ美しさを経験できるチャンスですぞ。
 特に価値基準が定まっていない若い方が参加されるとすごいカルチャーショックになるはず。なんだかつまらないと感じているならこの春から変えてみちゃってもいいじゃない。チェンジ★チャレンジ一年生。4/23から開講ですよー。