吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

ボーダーコリーのようなジジイ

私が毎日、自転車を止めている駐輪所のジジイたちは毎日毎日これぞ正義といわんばかりにぎゃんぎゃんと吠える。その様は牧用犬のボーダーコリーのごとく忠実で仕事熱心。その爺連の中でもとびきりにぎやかなのが宮内(仮名)だ。「片足!自転車!奥だっていってんだろーが!この糞ガキが!」「若造の癖に文句言うな!」「片足は向こうだって何度言ったらわかるんだ!つんぼか!」「バーカ」と一喝。駐輪場のコンクリの石つぶてでも投げてきそうな剣幕である。すべての若者を敵に回してすべての片足自転車を赤色コーンの向こうに誘導する。黄色いロープからはみ出ると烈火のごとく怒り狂い、大目玉だ。
その頑固爺ぶりに若者たちは戦々恐々。おどおどしたりいまいましそうに舌打ちしたりでその場を立ち去る者もあとを立たない。かくいう私も一度、こっぴどくたしなめられたがもちまえの憎々しさで乗り切ったことがある。それからというもの私は宮内をひそかにチェックするようになった。何か弱みをつかんでやろうと付けねらったのである。しかし、観察するようになって気づいたのであるが宮内は「礼儀正しいものに対しては寛容である」ということ。彼は若者の無礼に対して、無礼で返すというシャドウピッチングシステムを採用していたのだ。相手に対して無礼であれば、それはそのままおまえに還ってくるのであるとでもいいたそうに彼の態度は徹底していた。それから私は心を改め、駐輪場のウザイ爺という、うがった見方を改めた。手はじめに毎朝、軽く挨拶をしてみると爺もそれに答えるようになっていった。
あるとき、私の自転車が自宅の駐輪所に止めていたにもかかわらず、盗難にあったことがあった。多分、駅までの道のりに乗り捨ててあるだろうと踏んだ私は自転車を止め捨ててあるだろうところをくまなく見て回った。
無論、その駐輪所にも寄ったのである。キョロキョロ自転車を探す私に宮内は声をかけてきた。
「まだ、ここ開いてないぞ」。ぶっきらぼうに言う彼に「いえ、実は自転車を盗まれてしまいまして。探しているのです。」と伝えた。どうせバカだなと一瞥されるだけであろう、と思ったのだが、宮内の態度は違っていた。
「それは大変じゃあないか!」宮内は血相を変え、自転車を探すのを手伝ってくれたのだ。また、このあたりで自転車を乗り捨てられるであろう場所を何箇所か教えてくれた。「だいたいなーこの辺だと足がつきにくいってこって井の頭公園のガード下に捨てるンだよ。見つかんなかったら、あそこも見てみるといい。」などと親身になってアドバイスをしてくれたのである。まさか、この宮内が…と、私も狐につままれたような気分であった。それまでの若者たちに対する罵詈雑言からは想像できないことであったからだ。若者たちは宮内を無視して勝手に自転車を止め、いまいましそうに舌打ちをするだけであったが誰一人として宮内に話し掛けたり食って掛かったりする者はいなかった。私が見た範囲では。まるで宮内という人間そのものと関わることさえ忌々しいといった面持ちで通り過ぎていくだけであったのだ。まあ、誰だってそうだ。そんな知らない爺と仲良くなったところでめんどくさいのだから。しかも、一喝されたりして嫌な思いをしているならなおさらこの爺をめんどくさく思うだろうし、嫌いにもなるだろうというのも想像できた。誰だって興味のない嫌いな人間とすすんで知り合いなどになりたくはないのだ。知らない人は全員、無機物である。無視してしまえばいい存在。自分とはまるで無関係なのだから。

そんな、宮内が今日、私に声をかけてきた。
「ねえちゃん、実はここなあ、今月いっぱいで閉鎖なんだ」
閉鎖、ということはここを管理している宮内もクビ、ということだ。あんなにも威勢良く、若者をこけおろしていた嬌声がもう聞けないのか…。そう思った私は言葉につまった。何も言えなかった。
やや間があって
「そうですか…」
と答えることが精一杯だった。

宮内は確かにウザかったけど、本当は若者に優しくしたかったんだろう。優しくなれるきっかけさえあれば、きっと人は優しくなれるはずだ。誰だって人を貶めたり不幸がらせたりしたいわけではない。どうせなら回りもすべてなにもかもハッピーなほうが気分がいい。悪意の相乗効果でどんどん不自由になるよりはちょっとした、礼儀をわきまえてうまく付き合ったほうが嫌な気分にもならないですむものだ。

正直、宮内の職のことなんてどうでもいいし、すぐに忘れてしまうだろう。すぐに忘れてしまいたい。