吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

私の世界は狭すぎる

 貸し本屋に行ってもTVで新しい音楽を知ってもどっかで誰かとつながっているという私の世界は狭すぎる。
自分の中の好きの価値基準がしっかりあるからどうやってもそこに行きついてしまう。出会うべき運命の人とは出会ってしまう運命なんだろう。

 しかし、この好きっていうキモチはどっからくるのだろう。って話は植芝理一の『ディスコミュニケーション』みたいな話だな。信用できるのは自分の好きというキモチだけだ。それだけを大切にしておけばわりとなんでもうまく行く。好きというキモチに誠実であればいい。

 じゃあ、好きなものがない人は?

 というのがいつも頭を悩ませる。そのためにイベントやったりライブをやったりしている。そこになければ見つけに行くしかないだろう。見つからないなら自分で作るしかないだろう。ないんだったら作ればいい。あるんだったら探せばいい。簡単に見つかったり手に入れられるものだったら想いがこもらない。思い入れられないんだったら関係がなくなる。関係のないもののことを必死に想えるわけがない。愛は時間だと誰かが言ったかも知れない。いくらでも時間を割けることができ、苦痛じゃないものがあるなら人生は幸福だ。ないなら探しに行く楽しさがまだあるということ。探している最中もけっこう楽しいものだ。25までに必死で探せ。あとは地図を頼りに進むのだ。