吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

発売記念『サマースプリング』イベント今日!ダヨ

http://www.uplink.co.jp/factory/log/002106.php

というわけで今日です!当日も入場できますので「あ、そういえばー」と思い立ったり渋谷にお越しのご用があればいらしてくださいませ!なんだかんだで23時くらいまではアップリンクに居ります〜。パーティーだけの参加もオッケー。どんな感じになるのか想像できてませんが、わりとフラフラしているとは思う…。気さくに声をかけてください。なんでもしますよ!サインとか!つーか、結局、サインの練習してねえ!これを機に変なサイン考えようと思っていたのに余裕なかったなあ。
会場で本をお買い求めできます。当日、お買い求めいただいた方にはなんと今流行のミニコミ、サマースプリングイメージサンプリング資料がもらえます!もう買った人も2冊買っても問題なしですよ!むしろ、友達にプレゼントするといいです。小さな布教活動が今後の女子文化発展につながります!あの人やあの人の本も読めちゃうかも!?そのためには売れねばならんのです。世界がもっと複雑で色鮮やかだということを!読者に考える余地を!この叢書は伝えていくんでしょう。今たりないものを補うかたちで。

よく考えたらトークのゲストがものすごいおしゃべりのうますぎる二人だとふと我に返りました…。やばい…。やばすぎる…。やばいって自分が…。まず話が尽きる詰まる心配はまったくないですが自分がつまらんことを言わないように気をつけたいものです。トークイベントは「人のおしゃべりって聞くの楽しい!」と思ってもらわないとね。そして、佐々木さんもカツキさんも酸いも甘いも吸い尽くした上の苦味ばしった大人じゃないですか。はさまれてしゃべるのか。緊張してきた…。しかも、自分のことしゃべらなきゃならないのって超プレッシャーですね!私は人の紹介とか一緒にいる人を引き立てるような位置にいるほうが安心できるタイプなので及び腰になってあんまりしゃべらなくならないように気をつけねば。ノット!歌姫体質。後ろで飛び道具的になってる電子音のような存在が落ち着くのですがそうは言ってられないのでがんばります…。
聞きたいことなどありましたらメールにて質問いただければお答えします!薔薇×薔薇で培ったトーク技術を今…。前はだいぶ未映子さんに助けてもらいましたが今回は一人なので逃げ場なし!ですが、司会という役割ではないので…って、逆に緊張する!佐々木敦さんには2回もトークに呼ばれていて旧知の仲で私の音楽、文章についても理解があり、そもそもものすごくしゃべりやすいんですけど、今回は舞い上がってつまらんこと言わないようにしなければ…しなければ…しなければ…。
タナカカツキさんには創作の点でいろいろ聞きたいことがあるのですよ。私はこんなことを言うのもおこがましいですがカツキさんの創作姿勢に共感するんです。そして、今この時代にたりてない「誠実さ」を感じるんですよね。これは岡本太郎記念館で話をしたときにもカツキさんも言ってくれていたので妄想ではないと思うんですが…。

私は作品と対峙するとき、いつもそこに作者を感じながら向かいあうという態度で読んじゃうですよね。だから、好きだと思う作者のメッセージを感じる。しかも、隠していれば隠しているほど気になってしまう。寡黙で自分のことを語ることが苦手だから作品作ってるみたいな人にグッとくるんですよ。作者の考えが気持ちよければ私はノれるし、ダメだと不愉快になってしまう。人として作り出す以上、逸れてはならない部分っていくらかあると思うんですよ。稲垣足穂のいう美学でもいいんですけど、その根っこの部分さえ見誤らなければあとはすごく自由なんです。自由だけど、ズラしてはいけない。それは読者の存在をいるかいないかなんですけど、私はいると思っていつも書いていて。届かなければ発表する必要がないし、自分一人で完結するものは書きたくないと思う。けれど、人の作品は完結しきったものが好きだったり(笑)しますけど。自分はどうしようもなくインプロヴァイザーなのでどこか、余地を残した表現が好きです。隙でもあるが。

何度かとりあげてるけど『エスパー魔美』の「くたばれ評論家」(これいいタイトルだからだれかこのタイトル使って評論集出せばいいのに…)の作品の状態が好きなんだよね。評論家も読者も作り手も同じ視点にいる、状態が。これが分断すると考えることのほうが不自然なんだよね。「所詮、クリエーターなんて産む機械ですから」「ショエーッ創る機械ですかーッ!」という名文句どおりこのキャッチーさは私の違和感が数文字で表現しきっている。作る人が神様になってしまうような表現は興味ないんですよね。文章を書くということに関すると。ただ、ヴォイスパフォーマンスに関しては揺ぎないものがあってそこには孤高であることが美と思いますが、文章という伝えるに適したメディアで私はそれをやりたくないだけだ。音で表現するのが一番だと思っているから。でも、だからといってそれが正解であるわけではなく。文章で表現したっていいんだけど、ただ、私はそれが苦手だからやらないだけだ。アウトプットの仕方はいろいろあってもいい。

そんなふうに考えてるわけです。

私はちゃんと対象の声を聞いて書くということだけをしたい。自分の思い込みや勘違いで相手をその程度のものだと限定したくない。第三者がそこにいる、ちゃんとそこにいる表現がしたい。じゃないと関わる相手に失礼だし。向き合う、ということを意識していたいんです。これに縛られすぎてどうにかなっちゃいがちな面もあるにはあるが、できる範囲でできることをする「しか」ない。しかないまで追い込んでやるのがいい感じ。しかないまで追い込まないと後悔するからね!自己嫌悪したくなかったら全力を出すことです。全身の重みをかけて、ね。

なかなか世界は楽しいです。
私の必死が誰かの希望であれと祈る。