吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

きのう

 エラソーに書いたポツドールの感想だけど、役者のことを知らないから「大丈夫なの?」って思っちゃったわけだけど、よーするに自分が想像できない以上の何かが役者の中に形成されていて、演じられるんだろうなあ。だとしたら、書いた内容は失礼かもなあと、反省。だって、計算して冷静に演技しつづけなければできない演出だもんね。シズカが立ち上がったとき、イサムが腰浮かしたりとか即興でやったとは思えないし。演出されつくしていて、それで…なわけだけど、やっぱり「暴力は嫌!」という反射的な不快感が先走ることが色んな部分を見えなくしているような気がしてもったいないとか思っている私がいるわけだけど、まったく暴力を知らない人が観たら、ああ暴力ってみっともないなあと思えるわけで。嫌だなあと思うから役者は誰かの代わりに殴られていてくれるわけで、それができるってことは尊い商売だすごい素晴らしいありがとう!とか思った。僕は痛くないけど、痛みを理解させるためにそれは必要だったんだよってそんなの想像してわかるから要らないと思ったけど、でもわからない人もいるわけで、その人にとってはその痛みの体験は必要だったのかも知れない。やっぱ、あるものを「要らない」という書き方はよくねえーなあ。とか思った。また、考えが変わるかもしれない。ポツドール面白かったよ!って一言いれとけばよかった。などなど。でも、やっぱ、痛いの観るの嫌だ!から、観たくない!それよりもしゃべりで追い詰めるとこが観て痛かった。暴力的な恐怖は想像できる範囲だけど、精神的な恐怖は想像外だから、そっちが観たいんだよな〜。ってことでいいのか、私。ホラーとして受容しようとしすぎる私であった。