吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

口火 Vol.3

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文筆家/即興演奏家である男女が、書き言葉を舞台上で引き裂き、揺らめかせようとする試み。

どちらがさきに口 火をきったのか、 もうわからない。vol.3

2017/5/13[土] 19:00開演 開場は開演の30分前からです。

料金:2,000円+1DrinkOrder

ライブ終了後、トークディスカッションがあります。

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◉出演

吉田アミ、か、大谷能生
スペシャルゲスト 飴屋法水
美術・照明・音  川口貴大

 

 胸と息と喉と声帯を使用しながら、その機能を言葉を伝えることとはまったく異なった状態に育て上げてきた即興演奏者が、その回路を通して、あるいは放棄して、「言葉」を読む。同時に読まれるひとつの言葉は、男性の声と女性の声のあいだで宙に釣られ、書き言葉がもともと持っていた「語り手の不明」さを明らかにしながら、ひとつのものが同時に複数である経験をわたしたちに示してくれるでしょう。

 朗読表現の最前線「どちらがさきに口火をきったのか、もうわからない(通称 口火)」過去2回は榎本櫻湖(詩人)、滝口悠生(小説家)をゲストに迎え、荻窪ベルベットサンで開催してきました。きわめて強い表現を生み出すことのできたそのステージの成果をたずさえ、今回からは、吾妻橋ダンスクロッシングとHEADZが共同プロデュースするインディペンデント・スペースSCOOLに拠点を移し、演劇・ダンス・パフォーマンス・音楽など、あらゆるジャンルの“Something New”の発信地となるであろうこの場と共鳴することで、考えもしなかったようなあらたな表現との出合いにわくわくしながら、定期的に開催していきたいと思っています。

 

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◉予約方法

※増席しましたので、5月3日(水)19時より若干数の追加予約を受け付けます。尚、当日券の用意もございます。
4月16日(日)19時よりSCOOL(info@scool.jp)にてメール予約受付開始。
※件名「口火vol3」本文に「名前」「電話番号」「枚数」をご記入ください。こちらからの返信をもってご予約完了となります(24時間以内に返信します)。定員になり次第受付を締め切らせていただきます。
※予約キャンセルの場合は、お手数おかけしますが、 必ず事前にご一報ください。

 

4月16日(日)19時よりSCOOL(info@scool.jp)にてメール予約受付開始。
※件名「口火vol3」本文に「名前」「電話番号」「枚数」をご記入ください。こちらからの返信をもってご予約完了となります(24時間以内に返信します)。定員になり次第受付を締め切らせていただきます。
※予約キャンセルの場合は、お手数おかけしますが、 必ず事前にご一報ください。

お問合せ:SCOOL
メール info@scool.jp

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SCOOL

〒181-0013 東京都三鷹市下連雀3-33-6 三京ユニオンビル5F
三鷹駅南口・中央通り直進3分、右手にある「おもちゃのふぢや」ビル5階

scool.jp

 

amiyoshio.tumblr.com

 

これまでのイベントの動画


【LIVE】口火。vol.2 出演:吉田アミ、大谷能生、滝口悠生


【Talk】口火。vol.2 出演:吉田アミ、大谷能生、滝口悠生


【LIVE】口火。vol.1 出演:吉田アミ、大谷能生、榎本櫻湖


吉田アミ・大谷能生・榎本櫻湖トーク@荻窪ベルベットサン

サクラコの部屋

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Yoncha presents

サクラコの部屋

サクラコティック

MISOJI スペシャル

4月22日(土)

出演:榎本櫻湖

ゲスト:吉田アミ大谷能生

open 18:30 start 19:00

¥1 5 0 0 + 1 ド リ ン ク

四軒茶屋

世田谷区三軒茶屋 2-14-12 三元ビル 5F

E-mail:4genjaya@gmail.com

www.yoncha.com

口火第一回目にも出てくれた詩人の櫻湖ちゃんにおよばれ。近所なのでとりま音が出るものぜんぶもっていこうかと思ってます。わたしは……朗読は……するのかなあ? 声だけだしたほうが合うような気がしてます。Youtubeのはなしはしません。

だらだらかく無為日記

わりとせつなめの話が個々人とできているのとかあって、さきほど復活できたのですが、かなり精神的にはダメージ受けてますね。いろんなことに。さいきんこの復活能力が下がってきていて、元に戻りにくいという感じと過活動と停滞を繰り返すという(といいながらも原稿は書いていた)のがしんどかったりするんですが、原稿は書けるんだよなあ。ただたんになんか文章はどんなときでも書けるのかというか書くことでマシになって復活できたような気はするけど書いてるときはこれは正しいのかどうか、文章がまとまってないんじゃないかとか、そういうことは書いたあとも付いてくるけど、正解を探すことが文章の要ではないのと、今の精神状態じゃないと書けないことを書けたのでよかったなあとなぜか、不思議な解放感に満たされています。悪夢が激しいのだけど、もうここまでくると幻覚なんじゃないのかと思うくらいの極彩色のディスニー映画というかディステニー映画みたいなものがふっと浮かんで消えていく。たとえば、紙というイメージを連想したところそのイメージが自分とは関係なく何種類も浮かんで消えていき頭の中でイメージや像がいままで見たことのないかたちが、明らかに過去のフラッシュバックとかではない状態で高速でたちあらわれ続け、意味をなさないイメージの乱反射はアニメーションみたいで面白いんだけど、ひどく疲れてしまって。HDががりがり言ってるときみたいに、頭がこの状況や情景を処理しようとしてオーバーヒートするわけだけれど、処理が追いついていないので頭がぼんやりするという。その秒速でイメージがすり変わり続ける状態の過剰さっていうのは音楽でいうとスクエアプッシャーみたいだなと思って、聞き直したらぜんぜん、遅く感じた。Youtubeであさっていくともっと過剰な音楽はたくさん出てきていて、自分がいちばん聞いていた頃のよりも、過剰で過激でいまの自分の脳速度とぴったりスピードがあわさったものがあったので、何も考えずに聞きまくってみたりしていたら、擦り切れた脳の状態がいくらか落ち着きを取り戻し、体温があがっていった。5分くらいの短い睡眠を20回くらい繰り返し、そこではやっと、イメージの連続だけの無意味なものではなく、きちんとストーリーのある夢が見れるようになる。イメージにストーリー性を持たせるという自分であみ出した脱出方法はヘッドフォンでゲーム実況を聞きながら寝るという方法で、実況者のセリフから勝手にいまあるイメージに意味を見出し、ストーリーができるらしいということ。映像のネタはありあまっている状態なのでここで必要なのは語り部の存在なのである。三鷹で人と合流して飲み屋を探してさまよう中、わたしともう一人がここに土地勘があり、お店などわかっているのだけれど、他の人を疲れさせないように歩いていい感じの飲み屋に連れて行こう、チェーン店は絶対嫌だなあという論理的思考によって行動する夢をみはじめることができたわけだが、その夢はそのあと4パターンの結末を同時に進行させるという支離滅裂な過程を踏み、最後にはわたしの両足は足首から先が切断されており、でもそれは治癒に向かっているのだということを、兄に「そうだわたし足首ないんだった!」というんだけど、現実には兄などはいないので架空のイマジナリーフレンドかなにかか、願望の現れかなにかなんだろうけれど、包帯を替えてもらって、抱き起こしてもらうという一連の流れを夢の中で経験でき、確実に書いていた原稿の影響を感じさせ、一見してばらばらに思えるイメージは現実の焼き回しなんだよなあと思ってひとりごちた。最後の夢はパーティに向かっている4人と歩きつかれながら何回も何回も道に迷う夢で「また同じ場所に出た」と出る場所が防波堤で濁流が今にも氾濫しそうになっている。この裏の道をまっすぐに行けば最寄りの駅に行けるはずなのに駅につけない。携帯の電源は切れそうだったり、わたしの携帯も勝手にしらないアプリが起動しまくって肝心の地図アプリにたどり着けない。なぜか、オダギリジョーがいて、これたぶん、映画の配役のニュースをみたせいだと思うけど、オダギリジョーと話しながらさまようのはわりと嫌なことではないというかラッキーだなという気さえしはじめる。3回くらい道に迷って最後に誰かが「タクシー乗ろう」と提案したところで目が覚めた。そうだ、この人数いて誰もタクシーに乗ろうと提案しないのはなんてアホなんだろう。これでパーティの開始に間に合うだろう。まだ日も暮れてはいないのだし。あとは不条理な仕事の割り振られ方をして、新聞紙で折り鶴をたくさん折り、透明のビニール袋に入れるんだけれど、その入れ方が気に入らないと何度もなんども言われてやり直しをさせられている女か男か忘れてしまった人に対する上司の女の態度に腹が立ち、そういういいかたはない、きちんと何をどうするのが正解なのか、指示をしないから間違えるんだ。うすぼんやりとした指示ではなく、明確な指示が必要なんだよと正論を言って、まず、人に頼む前に自分でやって、正解を見せればいいのだ。相手から無限のやり直しをさせ、かたちにいったんさせることで、自分の正解をみつけようとしているだけじゃないのかなどと、言ったりしていたのでなんとなく、書いてみると整然としてくるような気持ちにもなっているのが今です。文章を書くってすばらしいですねー。

youtu.be

 

第二回『吉田アミ、か、大谷能生』

吉田アミ、か、大谷能生 2017】

どちらがさきに口火をきったのか、もうわからない。vol.2

文筆家/即興演奏家である男女が、書き言葉を舞台上で引き裂き、揺らめかせようとする試み。

www.velvetsun.jp

2017年3月1日(水)開場18:30/開演19:00〜

※ライブ終了後、トークディスカッションあり。

出演:大谷能生吉田アミ スペシャルゲスト:滝口悠生(小説家)
料金:2,500円(1ドリンク付)
場所:荻窪ベルベットサン(東京都杉並区荻窪3-47-21 サンライズビル1F)

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朗読DUO/「吉田アミ、か、大谷能生

 演奏家としてステージに立ち、また同時に、小説/批評/エッセイの書き手として文学に関わる吉田アミ大谷能生は、2010年から朗読=演奏のユニット<朗読DUO>として、多数のステージでパフォーマンスを行ってきました。
 彼女/彼は、1990年代後半から試みられてきた、音と音楽、演奏することと聴き取ること、個人とアンサンブルの関係などを厳しく問い直す、あたらしい即興演奏の実践/批評に関わるところから、それぞれの活動をはじめました。
ここではその詳細に踏み込むことをしませんが、およそ十年は続いたこの実験的ムーブメントは多くの成果を生み、そのシーンを通過したミュージシャンたちは現在、自身の資質に当時の経験を改めて反映させながら、さまざまなかたちで演奏を継続させています。
 彼女/彼は、自ら生み出し、展開させたこのようなエクストリームな即興演奏の方法と倫理を、言葉と声の分野においても実践できないだろうかと考えました。
書き言葉を舞台上で引き裂き、揺らめかせようとする試み――近代小説の前提である「黙読」というシステムで書かれた紙の上の言葉を、90年代後半から試みられてきた、ハードコアに個人主義的な日本のあたらしい即興演奏に接続することによって、まったくあたらしく響かせることは出来ないだろうか? このような無謀とも言えるアイディアから、吉田アミ大谷能生の<朗読DUO>は、はじめられました。
 吉田アミの<ハウリング・ヴォイス>は、そもそも声の言語的使用・意味の伝達をまったく排除するところから形作られたものであり、大谷の楽器であるサックスは通常発話と同時に演奏されることはありません。胸と息と喉と声帯を使用しながら、その機能を言葉を伝えることとはまったく異なった状態に育て上げてきた即興演奏者が、その回路を通して、あるいは放棄して、ひとつの言葉を同時に読む。その言葉は、男性の声と女性の声のあいだで宙に釣られ、書き言葉がもともと持っていた「語り手の不明」さを明らかに示しながら、ひとつのものが同時に複数である経験をわたしたちに示してくれるでしょう。 
 これまで清澄白河Snac、浅草橋パラボリカ・ビス、アサヒ・アートスクエア、西麻布スーパーデラックスなどで試みられてきた彼女/彼らのステージは、現代文学/音楽の極端なオルタナティヴとして高く評価されてきました。2015年に「吉田アミ、か、大谷能生」名義で発表した舞台作品、『デジタル・ディスレクシア』から一年の充電期間を経て、2017年、毎回さまざまなゲストをお呼びしながら、およそ隔月のペースで、荻窪ベルベット・サンを中心にライブを企画してゆく予定です。われわれのステージにご期待ください。

 


公式サイトです!

吉田アミ、か、大谷能生

amiyoshio.tumblr.com


告知動画です!


3/1(水) 吉田アミ、か、大谷能生【出演:大谷能生・吉田アミ・滝口悠生】

 

吉田アミ、か、大谷能生

吉田アミ(よしだ あみ)

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、Utah KawasakiとのユニットastrotwinとSachiko.MとのユニットcosmosのCD「astrotwin+cosmos」がアルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門のグランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、小説やレビュー・論考を発表。著書に「サマースプリング」(太田出版)、小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」(講談社)がある。
 
大谷能生(おおたに よしお)
1972年生まれ。音楽(サックス・エレクトロニクス・作編曲・トラックメイキング)/批評(ジャズ史・20世紀音楽史音楽理論)。96年〜02年まで音楽批評誌「Espresso」を編集・執筆。菊地成孔との共著『憂鬱と官能を教えた学校』や、単著『貧しい音楽』『散文世界の散漫な散策 二〇世紀の批評を読む』『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』など著作多数。音楽家としてはsim、mas、JazzDommunisters、呑むズ、蓮沼執太フィルなど多くのグループやセッションに参加。ソロ・アルバム『「河岸忘日抄」より』、『舞台のための音楽2』をHEADZから、『Jazz Abstractions』をBlackSmokerからリリース。映画『乱暴と待機』の音楽および「相対性理論大谷能生」名義で主題歌を担当。チェルフィッチュ、東京デスロック、中野茂樹+フランケンズ、岩渕貞太、鈴木ユキオ、大橋可也&ダンサーズ、室伏鴻イデビアン・クルーなど、これまで50本以上の舞台作品に参加している。また、吉田アミとの「吉田アミ、か、大谷能生」では、朗読/音楽/文学の越境実験を継続的に展開中。山縣太一作・演出・振付作品『海底で履く靴には紐がない』(2015)、『ドッグマンノーライフ』(2016/第61回岸田戯曲賞最終選考候補)では主演を務める。最新作は『JazzAlternative』(2016/Blacksmoker)。

 

スペシャルゲスト

滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう)

小説家。1982年生まれ。2011年「楽器」で新潮新人賞を受けデビュー。15年、映画「男はつらいよ」シリーズをモチーフにした『愛と人生』(講談社)で野間文芸新人賞。16年、『死んでいない者』(文藝春秋)で芥川賞。デビューから一貫して小説におけるナラティブ(語り)を重視した作品を発表。音楽や映画や落語などしばしば異ジャンルへと侵蝕しながらユーモラスな小説世界を展開する。他の著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』(ともに新潮社)。

 

 

死んでいない者

死んでいない者

 

 

 

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス

 

 

 

寝相

寝相

 

 なお、当日は吉田アミが寄稿した『文鯨』2号最新号の販売もあります!会場に来て、ぜひお手に取ってください。(2017.2.28追記)

amiyoshida.hatenablog.com

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