吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

オタクVSサブカル

の本の内容を読んでないのに語っている人が多すぎて密かにウケる。自分に関係するところとかは一応、ツッコミを入れるように気を付けてます・が、それ以外は見て見ぬふりをしています。おもしろいから。「オタクVSサブカル」っていうタイトルに惹かれたり、バッカじゃないの?と思った人やユリイカっていう権威ある雑誌に載せたらそれが正史になるけど、そういう媒体としての責任取れるの?ああん?と思う人こそ読み込むといいと思う。そもそもサブカルチャーに正史(つーの?)なんてあり得ないんじゃなかろうか。サブカル正史!それこそ、ザ・寒軽。

どうして知らないうちから絶望できるのか。知ってから絶望するのとは全然違う。
知っていてもただ、脊髄反射的に生理的に嫌いになるならその理由を探ろうとしないのだろうか。
その理由はまるで誰かの言った言葉をトレースしたみたいで味気ない。自分の感情はどこにあるのだろうか。知ったかぶりをすればそれだけあなたの世界は狭く、そして世界に絶望しなくてはならない。あなたのそうしてしまった行動の根元はなんだろうか?それはただの嫉妬から発生した発展性のない感想じゃないのだろうか。どうして人は知りもしないものを知る努力をしないで絶望するのだろう。知る努力を惜しむのだろう。まるで損と得の価値観しかないみたいに。価値観が一つしかなければあなたはずっと世界に失望していなければならない。あなたが比較する世界はあなたにとって冷たく厳しく冷ややかであるに違いない。あなたを受け入れる世界は何処かにあるはずなのにあなたは何も知らずに絶望して肩を落としている。

別に今、知らなくったって恥ずかしいことではない。
そこで知らないことを恥ずかしいと思って、知らないことを語ることはとても無責任だということに気づいて、知ろうと歩み寄る人を私は笑わない。いつだって気が付いたら変えられる。一回、失敗したらハイおしまいなんて寛大さのない世界ならいっそ、なくなってしまえばいい。そんな世界にずっといる必要はないのだから。あなたを必要としない世界なんて捨ててしまえばいいのに。なのにその世界を価値観をずっと大切にしているのは自分だった。世界の手をつかんで離さなかったのは自分の方だったんじゃないのかな。

私は絶望している人にまだまだ、世界は広いですよ。あなたの世界は狭いですよ、と言いたいだけだ。私は自分の世界は狭いと知っている。知っているから、知りたい。もっと、広い世界を、もっと、ここよりずっといい、何処かへ、私は希望しているし、絶望なんてしているヒマはない。

とりあえず、自分を肯定してそれからどうぞ、世界へ。愛さなければ愛されない。世界に絶望したらあなたのことを世界は絶望する。あなたから愛さなければ世界はあなたを愛さない。私がいるこの世界が絶望しかないなんて知らないうちから絶望するくらいなら頭なんて悪くなってバカになってしまえばいい。世界が私を嫌いでも私が世界を愛している。それでいいじゃないか。愛があるならそれでいい。愛があればいいじゃないか。愛をかける暇を惜しむ。どうせ愛されないなら愛さない方が得だなんてそんなことは貧乏くさいことは言わないで。世界に貸しを作るつもりで私が世界を愛してあげる。誰にも絶望されるかわいそうな世界をあなただけが愛してあげればそれでいい。それでいいんじゃないの?

ネジをゆるめて。話はそれからだ。完璧な潔癖な世界で神様みたいになった気持ちにならないで。人間のイイカゲンさが愛おしい。世界はとてもイイカゲンにできている。それを許す寛容さのある自分が大好き。