吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

知恵熱

 大人になってからのほうがよく出てる気さえします。オーストラリアではボケ―としていたのでここ数日の頭の回転無理矢理でオーバーヒートするのは仕方なし。考えろ、考えるんだマクガイバー。起きていると考えてしまうため考えすぎるのは体に毒なので(そうか?)阻止するためにどうぶつの森をプレイ。もしくは、今は伊坂幸太郎を読んで現実逃避をしがちである。思考するための材料が豊作でこっからどんな知恵の料理が召し上がれなんだか。いきなり納品されまくりのタヌキチデパート並ですよ。考えすぎるとゲーム脳になりたくなる。ゲーム脳ってゲームやってる人間だと実感できる感覚だよな。確かに、コレやってる時って無心になってる。この状態をゲーム脳というのであれば確かにそうだと思える感覚。ズーキーパーやってる時とかポケモンピンボールやってる時とか果物ゆすって落としてタヌキチの店に納品してお金を袋に入れてくれるサービスを受けている時など同じような脳波になっているに違いない。AKIRAの脳波パターンとは似ても似つかない単純極まりない2色の世界だ。沈殿していく声は多元のオーロラだ。脳味噌の隙間にみっちり粘土を詰められていくみたいな。割れ鍋をかぶったような印象だ。愚鈍と鋭敏と先鋭かがチンクル鍋でタッチペンでぐるぐる回してる最中のような。頭が割れるように痛い。カオリの痛みがー俺の中に入ってくるーみたいな。あまりに些末な出来事。
 いや、だから今の状態をどうぶつの森風に説明すると桃がリンゴがさくらんぼが椰子の実が梨がなりまくって村中に散乱しているにもかかわらずタヌキチの店が開いていないのと同じですって意味わかりますか?

 なにかわからないけどとてつもなくいいものがあるという予感だけはあるけれどそれがなんなのかはわからない感じというのは定期的に味わってるのは悪くない。何かが動き出し、前進するのはいつもこんなとき。バネになって飛んでいく。春は二階から落ちてくる。