吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

最近書いたこと

 うわーなんか今、最近書いた原稿読み直してたらすっげー散文っぽかった。というか、もう、語る時間がない!もったいない!みたいな死期迫る鬼気迫る前のめりになった文章でエレガントさが欠けている。読めないヤツはついてこなくてもいいぜ的な疾走感。悪くはないけどもうちょっと丁寧に書けよと思った。雑に見える。というかそういうふうにわかってくるということは、書きながら自分も成長しているのだなあ〜。もっとコンパクトにシンプルに伝える文章を書くよう心がけよう。レビューとか紹介ものは。というか、分からない人にわかりやすく説明する文章はネットに反乱してるし、ウィキペディアでも見りゃあいい話。物語は複雑に味わい深く単純なものは飽きた。言葉によって回収されるだけの物語は飽きた。もっと世界はカラフルでなくっちゃなあという気分。それしか、それだけしか。みたいながんじがらめの拘束は要らない。もっと自由で良いのに。自由にさせてくれなきゃいたずらしちゃうぞ!
 
 ムロン、犯罪はいけないが表現の世界に「正統」は要らない。要らなくていいから惹かれるのに。それもそうでなきゃとかそれがふつうとか○○というジャンルはとかくだらないレッテル貼られたあてあの人を好きでいたい♪(うしろ指さされ組)ですよ。何かを愛してるって繰り返すことがカッコワルイことだと思えない。何かを嫌いだって繰り返す方が子供じみてカッコワルイ。カッコイイ大人のほうがカッコイイ。誰もが本質を変質させることなくこの世界にいても良いよってあなたがいるから私がいるのよって言えるような理想的な関係を夢みて何が悪いっていうんですか。○○っぽいものを真似して作るなら○○を正しく紹介すべきだ。紹介した上で挑戦するならいいけどな。新しいものを無視する見ないふりをする。整理された世界は居心地が悪い。よく目を凝らしてみてみよう。よく見てみればわかるはず。はじめてなんだチマチマすんな大船に乗ったつもりで行け!と歌ったのはイルリメだがまあ、そんな感じだよな。もっと可能性を褒めよう。可能性を生まれる前から殺す残虐行為は非難しよう。何かが生まれるきっかけを、何かが生まれる土壌を大切にしよう。軽々と世界の仕組みを越えていく畏れを知らぬイカロスを支持しよう。一人が創った世界は脆い。世界は相変わらず変わらないけど自分の中で世界を変えろ。
 
 大丈夫だって繰り返さなきゃ。育つもんも育たない。育てよう。そうだそうだ。育てよう。育む力が足りてねえ。