吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

ねむれない。

今日はおためごかしのような茶番の(やってもらってそれをいうのは失礼だけどそう思ってしまう)お別れ会だった。
けっきょく、完全に会社とキレたのは私だけだと言うものすごくショックな首切りにいやな気持ちは倍増だ。18・19・21・22・23との私の人生暗かったか。
 どうせ私はここに居ても役にたたないという事実もあるけど、なんかそれを認めてしまうのもかなりショックだった。
 まあいいや。胃も痛くて、体の調子を壊しがちで、眠れなくなって、夜中辛くて起きたり怖くなったりして、それが怖いから深酒して自分をごまかしていて、だけどなんにも劇的に辛いことがあるわけでもないのにものすごく辛いと感じる事が多々あったし、きっと合わないから神様が辞めなさいと忠告してくださったのだろう、と無神論者のくせにそう思う。そうやって自分を慰める。くっだらない。A型のせいだ。きっと。
 そう、今日でとうとう仕事がなくなったのだ。
 明日から完全な無職である。
 だけど、ごまかしてもらってた失業手当と微々たる貯蓄でなんとか生き延びる事はできるのだけど、消えていく金のことや誰もたよりにできないというプレッシャーが重くのしかかる。そのことを誰彼選ばずに言い垂れている自分も最悪だ。言われた人は励ましてくれたり、自分の方がだめだよと、近状報告をつらく語ってくれたりで、私のくだらぬ甘えに反応してくれた。ああ、いい人ばかりだなあ。と思う。そんなことで自分を確認しているようで非常によくない状態だ。いかん。いかんぞ、吉田アミ。いつかしっぺ返しがくるぞと思う。
 せめて親が嘘でもいいからとりあえずどうしてもダメなら何とかしてやるみたいな事を言ってくれてもいいのに絶対言わないからなあ。ほんとうに冷えた親子関係である。甘えたいのか?私。いや、そうでもないんだろうけど。そうではないはずなんだけど。 親に期待してる場合ではないのだということはとうに知っているのにときどき、そうゆうふうに弱音を吐く。だけど本人には言わないし、言えないのであった。って、当たり前か。いくつなんだ私。もう、お・と・なだ。
 一方で、そうやって自分をおとしめながら泣きごとを言っている自分が好きなんだろう。そうゆうやつさ、私って。とも思ったりする。
 そして、突然の多福感(いいじゃないか。落ち込む訳じゃないのだから)に襲われたりしてかなり精神のバランスがあやういが、いろいろと予定があるのでそんな風にしていてはまずい。しっかりしなくちゃなあと思う。
 最悪、女には売るモノがあると、いつも思ってしまうがそれもどうだか。売れるのか、23にもなった今。と。安直な方法に流されそうで怖いが、どっこい生きているという感じでまたそれもよしだ。おいおい、いいのかよ。
 今、朝の5時だ。
 咽が乾いたので近くの自販機まで行った。コンビニも近いけどコンビニの爛々とした光の中に自分が照らし出されるのがいやなので、自販機にしたのだ。ここでジュースを買うなんてめったにない。そしてものすごくみすぼらしい私は闇の中でこっそり買う。それが自分に身分相応だ。
 不意に空を見上げたら、雲の暗さの青くて寒い感じの色で一等星がぽつっと光っていた。いつのまにやらこんなに暗い。季節は移り変わっている。なんだ、もう冬なのか、と。そして突然、体が冷えて身震いして、がたがた震えながら家に戻った。
アパートの脇の道に蝸牛が大量にひからびていたのはもう随分昔のことなのか、と悲しく思う。 しらないうちに月日が流れていた。何を感じながらここ数カ月、自分は生きていたんだろうと重く、思い、虚しくなった。
 きびすを返して戻った部屋は暖かかった。そしてまた、多幸感に支配される。些細な事でいちいちと。
 とりあえず大銀座祭にでもいこうかな。