吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

食事を終えた我々は宇波君の楽器購入につき合うことに。彼の欲しいギターというのはコントラギターというものだそうで、それはウィーンにしか売っていない珍妙なものだという。実際、見てみたがなるほど、こいつはみたことのない珍妙さだと合点した。ベースとギターがいっしょくたになったようなおおざっぱな楽器である。そんなことを書いたら怒られそうだが私がそう思ったのだからまあいい。楽器屋のおじさんが私が想像した海外の楽器職人、そう、耳をすませば系のおじいさんだったので感激した。宇波君が試しにこのコントラギターを演奏してください、と頼むと、いちもにもなく演奏してくれた。その曲はすごい不協和音で聴いている人を不安にさせる居心地の悪さで、とっても素敵。また、これを入れるギターバックがすごくてどうみてもなまずにしか見えない姿形。なまずの口をぱっくり開けてぎゅうぎゅうギターを詰めるんである。中敷きとか真っ赤だったしね。宇波君はすごくうれしそうに何度もギターを弾いていたのでうっかり店に置いてけぼりにしそうになりましたよ。あと、そのギター以外のやつもとしまるさんとうれしそうに弾いており「うーん、このギターの音色は繊細だなあ」とミュージシャンのようなことを言っていたのが印象的でしたが、よくよく考えてみると彼らはミュージシャンなので当たり前なのでした。ギターにこれっぽっちも興味のない私にはわからない話でしたが、人が楽しそうにこだわっている様をみるのはうれしいものですなぁ。私ももっと、マイクとかにこだわって「うーん、このマイクは10キロヘルツの音が絶妙ですなあ」とかのたまいてみたいと思いました。誰かなんとかしてください。誰かって誰だ。
それと、としまるさんが「宇波君はギターの弾き方が汚いが音がきれいだ」などという核心に触れる発言をしていたのも気になるところでした。音がきれいかどうかは知りませんが確かにキャプテンなどに比べるとぶかっこうな感じで弾いているようには見えました。まあ、良くわかりませんが誉められたので良かったね、と思いました。なんだか頭の悪い小学生のような文章が続いていますね!
その後、ホテルに戻ってささっと用意をし、会場へ。宇波君と私はこのフェスのオオトリをつとめさせていただく、いわば大鳥啓介(by.秋山徹次)なのでリハが一番最初であった。さっさとリハをすませた私と宇波君はウィーンの観光に赴くことに。観光ばっかりしすぎであるが、近くに観光スポットがたわわにあるのだから仕方のないこと。待てと言う方がおかしい。いや、おかしくはない。
私は解剖がらみの博物館などに興味があったが、この近くにあるのかどうなのか良くわからず、わりといきあたりばったりなかんじで町にくりだすこととなった。なんとなく向こうの方がウィーンぽいという理由でテクテク歩くとまさにウィーンという感じの公園を抜け変な銅像だらけの場所へと近づいた。そのあたりで、宇波君が地図と観光マップを見比べうなりだしたので、いっこうにめんどくさくなり「インプロやってんだからインプロで観光しようよ!私、ココに行きたい!」とちょうど指さしたのが「自然史博物館」であった。しかもそこがすぐ目と鼻の先であったので宇波君も従った。はったりはしてみるもんだと我ながら自分のインプロセンスに酔いしれた。
その場所に行くまでにあほみたいにでかい銅像が闇雲にあって見ているだけでいらいらしてきた。何がむかつくってそのでかさである。なんの意味があってそんなにでかく作る必要があるのか。時の権力者や偉大な人やクリーチャーやグリフォンや顔だけ天使やらなんであるがかわいげもへったくれもない。あたかもでかいことは強いことなどと言う北斗の拳における黒流号もしくはラオウのような強さのインフレである。そのうえ、その銅像にあわせたかのようにすべての建物もでかすぎるのが気にくわなかったのだが、ある時、私はハハーンとひらめいたのである。そうだ、昔の人はでかかったのだ、と。ようするにあの巨人が等身大サイズなんである。どうりで建物の扉がでかいわけか、なるほどなるほど、と一人合点したのであった。

自然史博物館はルパンでも盗みに来そうなご立派な館であった。伝統的な様式美の中で荒俣宏的な世界が展開しまくっているのである。ただの鉱物コーナだけでもわれもわれもという力の入れよう。ディスプレイしたえらい学者の愛情がこもりまくっていた。この石はね、こうやってしてあげるといいのぉ。土偶はねブラックライトで照らしてあげたいの。など、幻聴が聞こえてくる始末。ふと、天井を見上げればトリケラトプス、ああ、のび太の恐竜で出てきたよなー、ももたろうじるしのきびだんごで手なずけたいなあ、剥製だけど。
まあ、ふつうの骨なんかは冷静に見ることができたのだが、驚いたのはある一角よりはじまったわくわく剥製ランドである。弱肉強食食物連鎖をまったく無視したディズニー的世界観の動物ワールドはいっそむなくそが悪くなる思い。みーんな仲良く暮らしてたさあおっどりまっしょ〜!って踊れねえ。踊れねぇよ。心底マジで。発狂しそうになりながらドンドン奥へ進んでいくと、次々と訪れる死体たちにわたしも宇波君もめをぱちくり!もう、ヨロッパの生死感はよう、わからん。キゥイもぞうさんもきりんさんもいるねー。うわーこのパンダ、だだくさな扱いされているね。壁にガンガン頭をぶつけて気まずい人みたいだ。いつも人気者あいつなのに、いい気味だ。きりんさんなんか、ほーらきっと、展示中に首がもげちゃったんだね!ご覧!ぱっきり真ん中で縫い合わされているよ。
ネットでかような剥製達はたくさんみたが、実際にこうして間近で見るとその迫力は雲泥の差であった。特にこの博物館に展示されている動物たち今にも動き出しそうだけど、目は死んでる確実に死んでる。死臭さえないが死の色が色濃い。こんな大量の死骸をいっぺんに見る機会も生きてるうちにはめったにないだろう。よくよく考えるとウィーンでは死体ばかり見てきた気がする。これが私も名うての死体愛好家と言えるのではなかろうか。いや、違う。絶対、違う。断じて、違う。
剥製以外の不思議なものもたくさんあって、いろいろであったがそれらを見るたびに「あ、これ、ワンピースでみた。これさー潜水服なんだよねー」とか「あ、これワークラフトに出てきたよ、この種族」とかゲームとマンガとアニメと現実の区別がつかない気まずい人のようであった。私が。オマエの知識はマンガとゲームとアニメだけでしかできたいないのか。それとネット?
閉園間近であったため、駆け足気味にとおりずぎた。ケセランパセランのような微生物などにも興味があったが、これは本気でひとつひとつしらみつぶしで見ていくと莫大な時間が過ぎるであろう。昆虫ゾーンはワタクシがちょうちょという物体を心底、憎んでいるため、見もしなかった。興味のあるかたはぜひ、いかれてはどうだろう。ちなみにこの近くには蝶の館という、どうも温室に蝶を放し飼いにしているらしい(というのは知りたくないので調べていないのだ)場所もあるらしく、昆虫マニアにはたまらない場所でもあるようだ。
かけあしで見てみて思ったのが、「自然、スゲー!自然、圧倒!自然、負けた!」であった。でも、今、思うと剥製なんだから自然でもなんでもないような気がする。その時はそう思ったのだ。その気持ち、大事にしたい。
その後、私は昨日より狙っていた靴を買いに繁華街の靴屋へ出かけるが、土曜日だということを忘れていた。さっさと終わってしまっているでやんの。悔しいが、これも命運か、と諦める。
しかたがないので、せめてウィーン名物「ザッハトルテ」とやらを賞味しようと再度、盛り上がる。ちょうど、歩いていた商店街にザッハトルテ屋があったので、迷わず入店。観光客にまみれ、少し待たされたが、目的は田はした。オリジナルのザッハトルテとワッフルなんちゃらとコーヒーふたつを頼む。
宇波君は甘モノに目がないそうなので、上にのっていたチョコレートを多めに与えて、ご機嫌をうかがってみた。
ザッハトルテについてはルーメをいただいたのでそこから引用しますねー。どうもありがとうございました!

ザッハトルテはウィーンの菓子職人フランツ・ザッハが作り出した、世界で最も有名なチョコレートケーキ。 19世紀のオーストリアの王政時代、お菓子の都ウィーンでハプスブルク家御用達の老舗として皇帝フランツ・ヨーゼフにも愛されたというデメル製のザッハトルテ
土台の生地は、チョコレート風味のスポンジケーキ。その上にアプリコットジャムを塗ってから、表面全体をチョコレートでコーティングするのがデメル風。 このチョコレートはザッハ・グラズュールと呼ばれるもので、チョコレートを大理石の上でよく練って粒子を丸くしてあるのが特徴。 この高度な技術により、まず口の中でサクッ、そのあとでトロッと溶けるというデメルザッハトルテ独特の舌ざわりが生まれます。 食べるときは泡立てた生クリームを添えると一段とおいしくいただけます。
カフェ・ザッハーというところにあります。

ということらしいです。くどくない甘さのキリッとしたチョコレートに大量にホイップクリームが添えてあり、ムロン、コーヒーに良く合う味だ。私はクリーム系のやりすぎがちょっと苦手で甘くても苦みがあったりして、胸焼けしない程度の味が好きであるが、これはそんな私の好みであったのでおいしかった。チョコレートがともかくうまく、これは「シナップス」と一緒にいただいたらおいしいに違いないと思いこみ、ケーキとコーヒーとシナップスを追加注文の愚行を重ねる。部活帰りの女学生もまっさおな狂ったオーダーである。狂ったジャパニーズと噂されてもいいだろう。ネタだ、ネタ。ケーキ屋で30ユーロ散財。べろべろに酔っぱらって出てくるなんて、むちゃくちゃアバンギャルドだね!などと阿呆のようなことを口走る、私たちであった。多分、頭が少しだけ、おかしいのだろう。