吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

ある特定の価値観を『排除』しようとしている点では、戦争も、反戦デモも、全く変わらないではないか。

http://chigatta.exblog.jp/613053
きょうのビっときたひとことコーナー。そんなコーナーは今までない。

http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20040802#p08
精神科のお医者さんが、なぜか「平和活動」が好戦的であることが多いことへの違和感を、専門知識をもとに解きあかしている。

圏外のessaさんに紹介されていたのだけど、私もこのバランス感覚はよくわかるなあーと。一方の意見だけしか見えないものは面白くないし、本能的に怖いと感じる。私は親が離婚した時に最初は母親の意見しか知らされていなかったため、ずいぶん長い間、父親を誤解していた。中学生くらいになって父親と5、6年ぶりくらいに会ったわけだが、その時話してみて「あー一方の意見だけ聞くだけでは事態はわからんものなのだー。お互い自分の良いところしか言わないんだもんなあー。戦争と同じだな。」と思ったよ、と、実体験をこめて書いてみた。
あと、最近、思うのは過剰な評価を得ているものに対して自分は冷たい、ということだ。何度も引用して申し訳ないがナンシー関が同じようなことを書いていて最後に「自分一人くらいがそいつに冷たくしてやらないとというバランス感覚が働く」と結ばれていた。そういう態度をあまのじゃくだという向きもあるだろうが、どこにも批判的な意見や好意的な意見が見当たらない時というのは何か書きたいと思う原動力になると思う。文章だけの話しではありませんが。少なくとも自分はそういう風に思ってしまうのだということを意識してみる夏の午後だよ。そういうところが面白いと思ってくれた人が500人くらいアンテナに登録してくれているのだと思えたらちょっとうれしいなあと思うよ。どうもありがとうございます。まさか、500超えるとは夢にも思いませんでした。これからも超マイペースに書きたいことだけ書きますヨ。応援よろしくね!
「究極の平和」とは「悩み続けられること」@圏外からのひとこと KU。
逆リンク!>

http://d.hatena.ne.jp/jintonny/20040802
主張されていることはまぁその通りと思うけど、何が違うかって言うと結果が違うわけで。かなり大雑把になるけど戦争になると(ほぼ間違いなく)人が死に、「反戦」が通ると人が死ななくて済むかも知れない、ということ。

そ、そうだった!「戦争」ということだけクローズアップすると「?」となってしまうが、これは戦争に限らずに、どっちかに偏りがちな意見というところに着目したい次第です。