吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

嫌いなものがないほうがいいのかちら。

http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060419/1145426339

 また分熊からネタを拾う私であった。かちらシリーズ第二弾。どんなシリーズですか。今、私にかちら経由でコメントを残すとすごい勢いで拾うブームですか。いや、たまたまです!

 で、嫌いなものはないほうがいいのかちら?

 ですが、どうでしょうか。せっかくなので、考えてみましょうー。
 嫌いという感情はすでに「ある」わけですから、そこで嫌いという感情を持ってしまったことに対して「ないほうがいい」というのはちょっと違うように感じます。すでに「ある」ものに対して「ない」とするのは土台無理。ここで提案したいのは、その「嫌い」という感情…条件反射的/脊髄反射的に沸き起こってきた感情としての嫌悪感が何なのかを分析してみて、どうして自分がそう感じたのかを意識してみては?ということ。やっかいな嫌いという感情をコントロールする訓練を日ごろから行っておくとよいと思うのだ。その嫌いを伝えるワケは嫉妬なのか羨望なのか指摘なのか提案なのかなんなのかを。インターネットに書くという行為は常に伝える、とセットになっていると意識しておかないと、おっかないことになります。知らないうちに人を傷つけたり、突っ込まれたくなければ自分の心のモノローグはしまっておいたほうが賢い。マンガじゃないんだから何でも心のうちを書くと相手が混乱してしまうし、自分でもその言葉をコントロールしきれなくなるでしょう。AKIRAでいったら鉄雄のようなものです。ならばはじめから金田のように力など持たないことでしょう。なんでも例えがAKIRAです。

 他の分熊コメントでもありますが、「気持ち悪いフォルダと嫌いフォルダを一緒にしないように」というように、嫌悪の根拠を一度、考えてみてから、相手に投げかけるという手間をかけよう。このほうが要らぬ誤解も生まれにくいし、突っ込まれた時にあたふたしなくて済むという。心の中で思ってるだけなら問題はないですが、わざわざ言うというのは相手に何かを働きかける行為です。影響させてしてしまうこと。それはデリカシーがあまりにもないように感じます。そこで相手に積極的に嫌われたいという悪趣味なのかもしれませんが、私はあんまり感心しません。
 もし、この嫌いというのの理由がわかり、相手と自分は違うのだから仕方ない、という考えに行き着けば良いですがそういう理由ではなく、エラーの部分に対しての指摘を含んだ嫌悪感であるならば、感情的な部分は抜きにして、素朴に間違えを指摘するのは良いと考えている。私はそうしてもらえると、うれしい。また、この指摘をすることで、自分が正しいと思った考えが間違っているかどうかの判断にもなる。考えを軌道修正するチャンスに。本当に正しいと思うなら一度、同じ問題意識を持つ(と感じた人に対して)訊いてみるとまったく興味のない人からより適切なアドバイスが返ってくる可能性は高くなるだろう。

 ただ、ここで、間違えを指摘するときにしてはならないのは感情的になって要らない部分で相手を不愉快にさせない努力。嫌いとか好きとかいう感情を持ち、さらに相手に伝わるかもしれない場所に書くというのは相手に何か変わって欲しいと感じているか、相手の態度が間違っているよね?と問題を提示している時だと思うけれど、本来の目的とズレた人格攻撃(直しようがない部分とか)になると不愉快度は増していくばかり。いくら、的を射た指摘であってもそっちの方に気をとられてカーッとなって曖昧になってしまう。それでは本末転倒でしょう。
 とはいえ、人間だものそこまで淡々とした指摘を行う場合は誤字脱字ぐらいなもの。マナーやルールこうしたほうがいいみたいな助言や私はこう思うがあなたはどう?という場合、感情的になって書く事はあるだろうし、そうじゃないと伝わらない場合もあると思うし、あると感じる。けれど、そこの相手への侮蔑や相手を貶めて自分を優位に立たせようという、まあ、これも繰り返しやめたほうがいいと言われる一連の優越感ゲームになるなら、それはやめたほうがいいだろう。相手を打ち負かして気分がいいと思ってるのは自分だけだ。自己愛が強いにもほどがあるだろう。ナルシズムは密かに育てるほうが良い。

 そもそも、冷静になって考えればわかると思うけど、人格攻撃なんてしたい人なんているんだろうか。いや、いそうだ!が、自分がされたら嫌なはずだ。じゃあ、しないにこしたことはない。めぐりめぐって自分もされてもいいと思っているなら別だが、自分だけがそのルールから免除されているという考えなら甘えるなといいたいし、そこを突っ込まれても仕方なかろう。各々、自衛するしかない。ならすべきことはわかる。

 まあ、ギャグだと瞬時にわかる内輪同士での会話の中でなら、そういった脊髄反射的な話題も話のタネになる時もあるでしょう。でも、特にインターネットに限って言えば、誰が何時、読むかわからないし、相手との距離の設定の権限は発信者側にはないです。出してしまったものに関して、あなたには送ってませんよ?何か?と言ったって、受け取る人は勝手に受け取って影響されてしまうものです。その点を熟慮しておいた方がお互い気分がいいのではないか。そういった時に、感情的な部分での「嫌い」をかかげると突っ込みどころ満載になる可能性が高い。どんなものにだってそのファンはいるわけだから気さくに開いたら、おっと、パンドラの箱じゃんーとなり得るわけです。地雷はどこにあるのかわかりません。

 と、いろいろとまとめて書いてみて、自分も相当いたらない部分があると気がつく。人はむずかしいですね。むずかしいけどそこが面白いのです。