吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

大友良英さんがCosmosの感想を

http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20060704

COSMOSはその意味では、非常に女性的にもかかわらず、女性の色気や女性の強さ弱さのような要素は一切ない稀有な音楽で、むしろ社会的に規定されてしまっている女性ということへの強い批評性をふくみつつも、それが言葉(理論)で説明できるようなものになってしまわずに、音の領域の中でしっかりと立っている音楽・・・みたいな感じがしています。とまあ、こう言葉で書いてしまうだけでも、男の子的な解釈になってちゃってCOSMOSの2人からは「ふん」って言われそうですが。いずれにしろ、本当にいい演奏でした。

 褒めてあるのでみんなよく読むように。というのは冗談ですが(いや、本気か)ひじょうにうれしい感想でした。ありがとうございます。

 Cosmosと女性性を結びつけて書いてある感想というのは読んだことがなかったのですが、私としては実感として感じている部分の指摘であったため、ひじょうに納得できるものがありました。

 よく、絶望的な気持ちになるのはこの性差の話。私は文化系女子にも書いた内容に重なる部分もありますが、女だからダメとか男だからダメという現状の話ではなく、理想はなんなのかという話がしたいものです。現状がこうだからダメなんだという絶望には興味なくって、じゃあ、あなたはどうしたいの? という希望の話が好きなんです。未来に希望したい。

 女性的なのに「女性の色気や女性の強さ弱さのような要素は一切ない稀有な音楽」というものが、顕在化しているというのに何かしらの希望は持てないものかと思う。女子が生きにくいだの男子が生きにくいだのなんだのグダグダ言ってるんだったら今までにない提案していかなくちゃと思う性質なのでそういう姿勢があらわれているのだと思う。また、そういうことが実現できるのが音楽や文化的なもののいいところだ。

 女性性を捨てなくてもまた、それを売りにしなくても確立できるものがある、という考えが私がヴォイスを演る時の前提あります。インタビューなんかでもよく話してますが、そういった姿勢で、あえて非常に感情的で女性性を出しやすい楽器(声)を使っているというところに私は意味を見出している。独自性のある表現だ、他にやる人いないしできないので続けているわけです。ナンシー小関のように小器用であれば、ある程度、型だけは真似できると思いますが姿勢は同じではありません。
 あと、こういう話を書くと誤解されがちなんですが、私は女性的なものに対して嫌悪しているというわけではありません。ただ、自分が表現する中でそこに美学を感じないからしないだけです。女性としてかわいがってもらってラッキーみたいな話もないですしね…このジャンルの音楽に。この考えって同時に男性に対してもバカにしてるような気がするので嫌なんです。

 何のよっかかりも、情報もなく、それでいて、美しいもの。というのが、「在る」と感じることができます。削ぎ落とす、捨てることによってたち現われてくる「何か」を表現するためにやっているようなもの。書いてて自分で納得しましたが、多分、Cosmosuは演奏の中で直感的に「捨てる」ということを躊躇なくやってのけてるユニットなんでしょうね。空間から音を差し引いていくみたいな。

 まー単純に観ても劣情をおこす余地がナイッスからね。萌えれるもんなら萌えてみろっていう大変、萌えにくいユニットではあります。そういうわかりやすいカテゴライズされた一般的な女性に対する消費の仕方とは別の次元にある「何か」を体験したい人はぜひ、ライブに来てください。当分、ありません。これから先まったく決まってません! もしかするともう2度とないかもしれません! それくらいの希少性です。

 だから、女性を男性の付属品もしくはその逆みたいに考えている人とはおつきあいしたくないですので私に声かけないで下さいシャー!って思う反面、まあ、そういう考えで幸せな人もいるよねーと思うのであった。私は嫌ですが。なので好きな人同士で仲良くやってもらいたい!いや、でも、そういう目で見る人がいることを糾弾するつもりはもちろんないです。それは他人の趣向の問題なのでそこまで立ち入っていくのは面倒だしする気も起きない。ただ、かまってきても生返事するくらいで相手に対して真剣になる気はおきなくなりますよね。「けっきょく女の言うことなんて」とか「○○とつきあってるからそういうことやってるんでしょ」とかいう考えをする人は。まあ、この女という部分をオタクに変えたり非モテに変えたりしても同じようなキモチになると思う。なんつーか人が変えようのない部分を見つけてきて、だからダメだとかいう烙印を押せるほどおまえはエライのかと怒りがわくのは正常の精神だと思うよ。だからといってそこで諦めて媚びる必要はないし、相手に合わせて変える必要はない。ただ、相手にしないという選択でいけばかなり無駄な時間を費やさなくてすむのでお得です。豆知識。

 でもですね、これはひじょーにカワイクない不特定多数にモテない発想です。圧倒的に女子でいることに甘えた方が種として生きやすいとする価値観が蔓延してますからね。私のような考えはマイノリティであると言える。

 ただ、それでも、といって歩み寄れる人が好きだし私も相手に対して色眼鏡をかけない姿勢でいれば似たような人は集まってくるので段々、生きやすくなってくるのです。どうしても嫌だと思うなら自分で状況変えていくしかないのですよ。っていうような話はもう、書いたのにまた何回も書いているなあ。
 だけど、なんつーかこういう考えの人は多くなっていると思いますよ…。私はそういうのが在るということを証明していきます。
 
 とりあえず、文化を嗜む人は野蛮じゃない傾向の人が多いのでメスとして見られたくなければそっち方面に行くのが賢い選択であります。というわけで、こんな感想をいただいたりできるのでしたー。