吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

先日の結果

 CPK値驚きの20550!悪くなってすぐに調べたので良かったです。7月は大丈夫だったのは予防が良かったからでしょう。LDHという肝炎でも上がる数値(通常120〜240)が517と高いです。以前、肝臓を疑った医者を憎むぜ。くそう、ムダに禁酒してしまった。と酒を飲むことを正当化してはいけません。予防法や自分がどういう時にストレスを感じるのかが段々、わかってきました。わかってくると病気へのストレスを軽減させることができます。なんでもそうですが、まずは知る、それから緩やかに理解がやってきます。そのためには知る努力をすることが大事であり、専門科でもないくせに浅はかな知識で判断して決行するのがどれだけ愚かで危険か。自分で判断するにしてはあまりにも知らなさ過ぎる。というか、そこまで知ることも難しそうですが。うまくコントロールして長生きしたいです。杉浦日向子みたいに「私の体を病気が選んでくれたんです」と言えるようになりたいものです。さすがにそこまで達観できるほど、まだ人間できちゃいませんが。これから私はインタビューで「今までに自分に影響を与えたのは誰ですか?」と訊かれたら「病です」と答えようっと。いや、それもどうかと…。

 杉浦日向子の「ごくらくちんみ」を読んだんですが今の心情にピッタリだったのでものすごく沁みた。うまい日本酒のように五臓六腑に沁みたね。特に「からすみ」のモノローグで「すこし呑もう、たっぷり眠ろう。明けぬ夜はないのだから。」にやられた。大体、私はこの「すこし」という言葉が好きなのだ。岡田史子の「ほんのすこしの水」を読んでから気にしだしたのでかれこれ14年以上気に入ってるのか。

 すこしの距離感っていいですよね。積極的に押し付けるのではなく相手の意思を尊重する余地がある感じ。これはこだからこういうふうに受け取ってください!それ以外は間違いです!キイイイ!となってる人は怖くて優しくないのでなるべくお近づきになりたくないものです。そういう意見もあってこういう意見もあるという態度がいい。でも、上に書いたことに戻るけど無知による判断が広まるのは誤解を生んで偏見を作るから気になったら指摘したほうがいいと思うこともある。しかし、個人に対して意見するというのはなかなか体力がいるし、同じ土俵に立っていれば話をして理解できるかもしれないけどできないことも多いですね。自分はあんまりやりたくないなあというかやったらダメだという気がしてきたので今後は自分に関わること以外は無視しようっとかいちいち、書くのであった。

 それでもねぇ好きなものが誤解されるのは嫌なものです。誤解を吹聴する人は責任感なさすぎだと思うよ。もちろん、それは自分にも言えて、言葉に対してもっとデリカシーを持ったほうがいいと思って反省したり忘れたり反省したりを繰り返しながら理想に近づいていく過程なのでした。そうやってもがくのが考える者なのだ。

 世界に優しいものは自分に厳しいものだ。そういうものに私はなりたい。