吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

バタバタしているバタコさん

 なんでこんなに忙しいんだろうと思ったら(自分で合い間に予定いれすぎ)27日からNYツアーだからだった。アーストワイルから今度、ウィーンのクリストフ・カルツマンとのデュオのアルバムがリリースされるため、アーストワイルのフェスティバルに参加するのだ。

●ErstQuake3 @ Tonic in ニューヨーク (9/28-10/1/2006)
http://home.att.ne.jp/theta/ny-jazz/amplify05_news.html

 なんだかんだで年に3回くらい海外でライブやってる。来年もすでに3月にスェーデンのライブが決まったよ。でも、海外に居るときのほうが体調は良い。涼しくって爽やかだから。1年中、秋みたいな季節なら私の体調も良いのになあ。

 問題は飛行機である。

 これで具合が悪くなること多々。非常に気をつけなくてはならない緊張ポインツである。テロ警戒で機内にいろいろ持ち込めないらしいとかメンドクサイのだ。どうでもいいが語尾に「〜のだ」と着けるのはチンクルの影響なのだ。私が一番、気に入ってるテキストはくずスープのやつなのだ。

 チンクルをやっているとなごむ。ほんとうになごむ。心の平安が保たれる。心に残るイベントもたくさん。不思議なことに文字がぜんぶひらがなでも読みやすいのだ。できればこの世界で食材を取りながらスープ作って生きていたいよ、ずっと。など妙な心の安らぎを覚えるのだ。理由はない。

 あれやんなきゃこれやんなきゃそれもこれもでも休まないと疲れるし無理するのはヤダしでもやんないとなやろうやめようと頭でぐるぐる考えるのが一番、疲れるのだ。外国行くとライブ以外することないので(それが仕事なのだ)わりとボーっとしてる。一日、考えることは「朝ご飯を食べる、昼寝する、昼ご飯を食べる、夕ご飯を食べる」だったりする。なんだその生活は。どうぶつの森でももっとやることがある。ああ、そうなのだ。どうぶつの森ぜんぜんやってないなあ。ラフレシアが咲いているだろうか…。売れるのかな、あれ。ゴキブリも家に大量発生しているであろう。やなのだ。

 マンガは相変わらず浴びるように読み知らないジャンルを開拓しまくっている。最近、読んだロクニシ コージ「こぐまレンサ」が良かった。何が良かったか書くと長編になるので書かないけど、打ち震えた。これは「わたしは真悟」と同質の物語だと思った。愛だよ。愛なんだよ。結局、すべてのエネルギーの根本は! 他は朔ユキ蔵の「少女、ギターを弾く」も良かったな。嗚呼まだこの世には私の知らぬ素晴らしいものが待っているかと思うとうかうかしていられん。人生、短いヨ。好きなことをしなくちゃ。憎しみや嫌いなことで人生を浪費するのは、贅沢すぎる。貧乏臭いなあ自分は。まあ、それで良い。

 しかし、何事も存在するものは一長一短ですべてパーフェクトにOK完璧完全なものが存在しないのは、残念を残して次行ってみようーということなのか。誰もが幸福になれる方法はないが、なるべく多くの人が幸福になる方法はあるかもしれない。ダメの烙印や呪いをかけるのは簡単だが、そうする一方でそのダメに好いを見出す人もいる。受け取り方はその人物のパーソナリティーに寄りそってしまう。

 情報が少なくて判断が出来ないとき、私は相手に質問するということをしなくてはならない。しなくてはならない。という言葉をよく使う私は脅迫的に自分を追い込みすぎる姿勢を感じる。一番、わけがわからないのは自分だ。自分を置き去りにしてここまで来てしまった。合いに行くのは自分自身だ。骨を砕いて飲み込め。歯が砕けてもいい。浸透して、もう一度、再会するのは自分の帰還だ。

 またはじめからはじめればいい。