昨日の続き
長いので誰も読んでないと思いますが(笑)。たまには独り善がりエントリーも良かろう。いや、ちょくちょく書いてますが!時にはこんな時もあるさ。明日があるさ。
さて、さて。
今、自分のエントリー読み返してて思ったんだけど
このエントリーを要約すると…
大友克洋はいつからメジャー監督になったのか?
ちゅうことで、
んで、私のもってる資料と記憶から…
『AKIRA』(88年)の映画公開後の初の実写映画監督作品『ワールド・アパートメント・ホラー』(91年)にバブル期でわりとノリノリなはずなのに、たいした出資が得られず単館上映という結果になったということから考えると、もともとそんなに有名&評価されてなかったのではないのか?
さらに『AKIRA』以降の作品も(『MEMORIES』はわりと高評価だったが)酷評が多く「AKIRAの頃の才能はもうないよ…」などと落胆されがちだったわけだけど、その評価はいつ、どこで、どのように決定付けられたのかがイマイチ、わからんのですが誰か教えてください〜的な。
で、自分の持ってる資料と記憶を照らし合わせると…
『攻殻機動隊』(95年)以降のジャパニメーションの海外からの評価があってから
ではないかという仮説が成り立つわけで、そうなるとそもそも大友克洋への過大評価してる人って「有名だから」とかいう権威的な理由で評価してるだけな人が多いんじゃ?作品の良し悪しまで理解してなかったんじゃないのか?そもそも『ワールド・アパートメント・ホラー』(91年)との比較をしないのは大友克洋の実写映画は出来が良い/悪いの評価はできないのでは?
というカンジだな。まとめると。
もちろん、日本映画としてダメというジャッジの仕方は別。ここはあくまでも世界の大友フィルターをかけといて酷評する場合のレビューにだけ当てはまります。
ちなみに、大友克洋を現代の人にちゃんとスゴイといわせるためには深夜アニメを大友克洋が『MEMORIES』方式か『スチームボーイ』をテレビ版に落とし込むかすれば、きっと人気出ると思う!劇場版っていうよりTV版。今までやってないし、挑戦してくれないかな〜とファンとしては思ってます。