吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

日々の泡か。

 出版記念パーティーでの屈辱(私が疲れて寝たorいろんな意味で体調崩したすべて自分が悪い)を今一度、やり直すべく好きな人と呑んで褒められるという自信を取り戻す週間を意識的にやっているわけだが、(なので今呑みに誘われれば100%オッケーだ)おかげでいろいろ迷いも晴れた。バカで愚直な人間の言うことは愛しい。上に虚実がその瞬間、実が勝る。表面的な言葉かどうかなどは瞬時に見極められる超能力を備えているわけで、そのせいで、言葉に傷つく。が、また、その次の瞬間、しょうがねえよなーと思える。私は無敵だ。目の前に現れた選択肢の多さにワクワクしている。選ばなかった可能性を誰かが選ぶなら私はそれでいいと思える。むしろ、ありがたい。これから先、選ぶ道がなくなったと思ったら死ぬのだろうか。それはまた、わかりやすすぎるくだらない選択だと思うので、無理矢理でも狂った道を作り出すのだろう。それがまた、オモシロイ。オモシロイだけで選択し続けると、後悔が少ない気がするので私は常にそれを選んでいる。楽とかいうだけで選ぶとその場しのぎでは確かに楽だがそのあとに全然、足りなくなる。一体何を世界に期待し、諦めているのだろうか。諦めるというよりは、許し続けることをしているのか?誰も愛さないなら私が代わりに世界をまるごと愛してやる。足りない「何か」の正体はわからないままでいい。正体がわかった途端に楽にはなれるが、それならなくていい。わからない謎があるから考え、すすめられる。いくらでも解釈すればいい。そして、謎を解き明かして欲しい。それが、謎をかける人の望みだ。魔法は解かれる。それがいい。だから、また、謎や魔法をかけたくなるのだ。そうやって、動いているのはしんどいが心底楽しくもある。走れ。たぶん、私は無敵だ。