吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

最近

地味目にちゃくちゃくと作業を進めつつ、本の内容考えたりなんたらかんたらやっているとあっという間に時が過ぎる。秋は好きな季節だ。空気がぱりっとしていて良い。クリスピーだ。ちょっと全体的にうすぼんやりとしてどうも眠りの質が悪いのが気になっていた。体の疲れはすぐさま回復するのだが夢ばかり見る。これはいろいろと考えすぎているときに起きる現象だ。頭を整理するために不合理な夢を見る。面白いんだけど起きると脳が疲れている。という風になりつつも熟睡する気も時間もあまりないので無理やり起きたりしていた。少し脳の奥が痺れるような感じであった。そんな体調の最中、誘われた謎のイベントBED 眠り人のための演奏会 || Concert for Sleeperに「眠り人」という役どころで出演。意味不明すぎる!ということは=面白い!なので、思い切って出演。もう、自分がこれに出ていること、こんなわけの分からない依頼が来ちゃう自分がおかしすぎて。で、ほとんど出演者が誰なのか調べずに行くことに。なぜなら、そのほうが面白いからだ。とはいえー企画のスエナガゴウ君は岸野雄一さんの押上リキッドルームにて出会い、舞台美術をされた原田愛さんともども前回の「マンガ漂流者」に生徒さんとして来てくださったのだった。
そして、行ってびっくり!これがかなり本格的に舞台美術が組まれており、出演者も白装束に身を包みなんかほんとに夢を見ているような世界が再現されていた。ご存知の方も多いと思うが美学校のビルはそれはそれは古き美しい建築である。その建物の真ん中にベッドがあるという違和感。そして、即興演奏と聞いていたのだけど、聞いた直後、分かるように音楽的な教育をされている人の奏でる音だった。ウィーンとかベルリンの即興演奏家なんかもそうだがとにかく音の鳴りが違う。そのセレクトも相俟っていた。

大友良英さんの最近の作品にも感じたが「環境をデザインする」ことから作曲がはじまっている、という考えの延長のようで、これまで「無演出」が美徳とされていた即興演奏に新たな流れを感じた。そうすることで、ライブの一回性を高めている。これはなかなか面白い試みだなあ、と思った。それが音楽系の人からではなく、映画よりの演奏者から提示されている。現状を変えていくのはいつも外からの訪問者だ。こうすることで多くの即興演奏家が陥っていた、「禁止事項を作り客をがんじがらめにする」という窮屈な方法を選ばなくてすむ。あらかじめ「世界」を用意して、そこへお客さんを招き入れるというのはまるで魔方陣。私たちは魔法にかかってしまえばいい。どうにも優しいシステムである。

それを現すように出演者、企画者、お客の顔が良い。いや、たんに見た目が麗しい人が多かった(美学校だけに美意識が高いのか?美男美女ぞろいで慄いた!)という話もあるが(笑)美術系特有のホワワワーンとした謎の安堵感があり、それが会場全体に漂っていた。眠る準備はすでに出来ていたのだ。

そう考えると、ここ数週間のどうにもはっきりしない曖昧模糊ささえも、すべてこの日のために用意されたかのように思えて、肯定されたかのように眠りに落ちた。実は眠っていた、とはいいがたく、けっこうはっきりと音も聴こえているのである。眠りと覚醒の境界線をたゆたいながら冷静に音を聴いている、という不思議な感覚である。また、恐ろしいことにテンピュールのベッド、ヤバイ!あれは体が沈むね。まったく寝返りをうたなかった。自分がいることは最初、ギミックなんじゃないのか?と疑いもしたが、やってみると、場所に行ってみると分かるが、「居る」ということが演奏者に静かな影響を与えていて、企画のスエナガ君もそのことをはっきりと確信していたので、えらいなあと思った。誰かが無防備に寝ている、という状況によって客にも安堵が伝染していくというか。

昔、「東風」で「爆眠ナイト」というライブを聴きながら客が布団で寝るオールナイトイベントが定期的に開催されていたのだが、こちらは「眠る」ことに重点を置いたものではなかったのでかなり対極に位置するイベントだったと思う。

つーか、これほんと商品として流通できるぞ。リアル、「シマシマ」!ベッドから降りるときエスコートまでしてもらっちゃったよ。お姫様待遇です。この年でいいのかしら。という「うっとり」も提供されました。終わった後、「寝れましたか?」と開口一番、演奏者の方に聞かれ「ええ」と応えると「やった!」とか言ってくれてなんか、もうかなり、シュールな体験でした。そして、あの天井の高さはきっと一生忘れないんだろうな、と思ったのです。なかなか得がたい体験。思い出はプライスレス。みなさんありがとうございました。また何かあったら誘ってください。
しかし、ギターがこう、円環みたいに循環して天井に上っていくイメージで、何処でどう鳴っているのか不思議でした。単に3人くらいが同時に弾いてたと思うのですが。全体的に透明度の高い、少しリバーブがかった(建物のせいで反響してる)濁りのない音が意識的に奏でられていた。どこまでコンダクトされているのか、謎だ。

そうそう、そういえば、原宿VACANTの主宰者、永井君とスタッフの方も観に来てくれたのも嬉しかった。しかも、『逆光の頃』買ってくれたそうで!ううう!!!大友展のときも不思議な奇跡が起きたものだが、あの場所もなんともいえない何か、場の磁力を持っている気がする。昔だとなんか好きだな、と思ってたスペースはP3とかあったけど。今ってなかなかないよね。最近では七針、パラボリカ・ビスとか小スペースでありながらお金を無駄にかけすぎず、それでいてほんとうにオシャレでセンスの良い場所が増えた。ブランドに頼った借り物のセンスではなく、美意識を持ち、ないなら一から作っちゃうという。

そういえば、サウンドワームこと庄司広光さんなんかも昔から空間を巧く使った音響設計がすんばらしいんだよな。私も録音参加したけど『Tsuki No. Wa』のアルバムなんかバレエレッスン場で録音!とか、吉祥寺のアンティーク屋、ランダバウトでライブとか今でも印象に残ってる。いまだに思い出すけど、あのときの『Tsuki No. Wa』のライブまじ、すごかった。詩の朗読からライブまでの流れも良かったけど、フミノスケさんの声があんなにも場になじむように設計する庄司さん、マジ、パねェっす!感極まって涙が止めらなくなったもんなあ。

というわけで、もともと空間を巧く使った音響設計がしっかりしたライブって好みは好みなのである。だって、どうせその場所でやるのだから、その意味がほしいよね。私だと海外でやったとき教会でセイモアとAMMのおじいちゃんと共演したのとか思い出す。最近だと七針の音の鳴りが良かった。これは壁の材料に漆喰を使ってるせいらしいのだ。で、私がなんか調子良いと思うのはなんと、アレルギーの問題であり、とにかくだめな場所ってやっすい塗料とか使ってて、換気がまだしっかりできてない新築の場所とか、ダニとか埃がダメ。アレルゲンがあると、なんかいらいらする。そう考えると今日の美学校も昔からある場所だし、なんとシーツもこのために新調してくれたそうでアレルギー反応心配であったがぜんぜんOKでした。

というわけで久しぶりになんだか接待されたー!という感じ。あと、前日に楽しい飲み会があり上機嫌でもあった。いやーほんと、今、若い人面白いわー。なんか思い切ったことやるよね。VACANTの主宰者もめちゃ若いものなあー。こういうことがあるとさすがに日本の未来に期待したくなる。絶望するようなことも多いけど、この子たちが不幸になるなんて信じられないので、たぶん、世界は存外がんじょうにできてて、ちょっとやそっとじゃ壊れないのだろう。きみたちの未来は薔薇色だ。