吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

それっぽいモノの功罪

 私はそれっぽいモノが嫌いだ。それっぽいモノが許せない。それっぽいモノの定義とはすでにあるモノの知名度やオリジナリティを流用して、かたちだけなぞった粗悪品のことだ。劣化コピーといって切り捨てても良い。そういうものを「良し」とする精神は批判されてしかりだ。仲間内だけで盛り上がっていたりする分にはいい。しかし、それがひとたび商業ベースに乗った場合、どうだろう。プロとしての覚悟も形成されぬまま、それっぽいモノとして甘受され続けるのか。それはあまりにも消費者をバカにしてやしないか。消費者はバカにされているとも気がつかないまま、仲間内の馴れ合いよろしくオモシロイヨネーとうんうん言ってる低レベルさなのか。カラオケで唄う友達に金を払うようなものだ。払っちゃったら友達じゃない。払っちゃダメ!もし、うっかり一回、払っちゃっても納得いかないなら払い続けちゃダメ!

 受け手にプライドはないのか。
 作り手にプライドはないのか。

 それっぽいモノが流通するには理由がある。それっぽいモノは本物よりも劣化コピーがきく分、ハードルが低い。どこにでもプライドのないままたち現れる。さらに、すでにオリジナルが作った消費の仕方が明示されているため、既知のものを共感するためだけに、消費できるお手軽簡単インスタントなショートカットなコミュニケーションツールとしては低コストで流布していく。どこへいっても簡単に出会える。本物は得てして得難い。活動を中止してしまったり、休止してしまったり、死んでしまったりして、今後そのような表現を本物が取らないとわかっている場合は尚のことだ。

 注意したいのはパロディとの違い、である。パロディというのは、本物を過剰にした面白さや創造性が加味されての上でのものである。モノマネ芸人なんかはこれに当たると思う。また、活動中の人物のモノマネをカンペキにやる芸、これも感心はする。たとえるなら、原口あきまさ明石家さんまのモノマネのようなものだ。本物かと思うほど似せるための労力を感じるし、実際、活動中の本人とのからみであれば(はじめてみると)それなりの衝撃度はあり、オモシロイと思える。

 芸の域にまで達していれば鑑賞に値するのだ。そこに好き嫌いはあるにせよなんにせよ、非難はされまい。私も似たような経験がある。自分のマネと称して同じような声を出された時に嫌悪感があった。もちろん、個人的に楽しんでもらうのはいいが、同じステージに立っているのに、そこで「吉田アミ風の声」として、私からすれば粗悪品としか思えない(こっちは死ぬ気でやってるつーのに)モノを提示された時、いいようのない無力感にさいなまれた。どうせやるならカンペキに耳コピしてみて欲しい。そうしてくれれば、そこに愛を私は感じられただろう。愛がないのだ。そのオリジナルよりも気軽にちょちょいのちょいこんな感じでしょ?こんなの簡単じゃない?バカみたい何年もやってて。みたいな視点を感じてしまうのである。

 そこに真の意味のリスペクト、尊敬はない。ないくせにあるフリをするからおかしなことになるのだ。開き直る覚悟がなけりゃ、オフラインでやってくれ!

 だから、同じ土俵に立ってはいけないのである。土俵から降りるべきである。

 さて、このリスペクトであるが、リスペクトがないものが面白くない、というのも変な話である。リスペクトがなくともオモシロイものもある。コラージュやサンプリングなどにはリスペクトは少なくても芸の域が高ければオモシロイ。それらは元のオリジナルをそのまま引用している特性上、明確な劣化はおこらない。そこから辿って本物と出会えるかどうかはまた、別の話だが、そこには作者がそれを選んび再構築した、というオリジナリティがあるからだ。私はそれをオモシロイと思えるし、金を払っても/払い続けても良いとし、積極的に良いものや好きなものには払いたい。

 しかし、表現とはずいぶん簡単になってしまった。いい面もあるが悪いと思うのはこういう時だ。リスペクトだのオマージュだのインスパイアなど便利な言葉を流用して根本的な失礼さを緩和できたと思うなよ。図々しい。厚顔無恥。下品。ありったけの悪意を並べたくなる。私は見破る。おまえの所業を。騙されるな。騙されてたまるか。その精神でよくモノを見ていきたい。騙されるな。それっぽいモノで甘んじてそれっぽいモノでこんなものね〜所詮、なんかと諦めないでオリジナルを見る手間を惜しまないで欲しい。ノイズ込みでしか感じられない表現がある。楽してオモシロイものなんて手に入れられる幸福は少ない。

 えーと、ナンシー小関に関わらずさまざまな面で思ってる話でした。これは。

追記)判りにくい部分、若干、修正しました。(2006.6.19)
追記2)

partygirl 極端な例だけど、シェイクスピアピカソみたいに剽窃がオリジナルをはるかに凌駕したらどうなるんだろう?本物の定義って簡単じゃないと思うけど。

文面どおりに反応しますと、シェイクスピアピカソが剽窃(他人の作品・学説などを自分のものとして発表すること)したのかどうかは知りませんがしたというのなら盗用なら犯罪でしょうし、また、シェイクスピアピカソが剽窃オリジナルをはるかに凌駕したかどうかは誰の判断かわかりませんし、私はその事実を詳しく知りませんが、それは別としても、オリジナルとは違う側面を見出したのならそこにはオリジナリティがあると言えるのではないでしょうか。とりあず、ここで話題になってるナンシー小関的な事象とは別の話です。あくまでも、改悪や劣化品への批判です。

この手の話題はなかなか通じにくいな! みんな本物を見るんだ! 騙されるな!!!! 表現されたものをバカにするな! 世界が狭くなるッ! 圧倒的なオリジナリティを体験するんだ! 世界が鮮やかになるッ! とりあえずジョジョでも読んでおけ!