吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

90年代当時、ガロは手に入りにくかった?

 ガロを探したけどなかなか売ってなかったという話をよく聞いたりするのだけど、こないだ古本屋で購入したガロにもそんな情報が読者コーナーにあった。1994年6月 特集 ステキな女性作家たち より。私の場合、近所の本屋にもいつも1冊だけあった。鳩山郁子先生のマンガも平積みだったし、冬野さほも新人だったが平積みだった。町のふつーの小さい本屋だったけど。そこがあったせいで、あんまりガロが売ってないってイメージが自分の中でないんだよね。売ってた場所はファッション誌とゲーム誌とマンガテクニック講座などのムック本が置いてあった。カルチャー全般といったとこか。

 それはおいておいて、読者コーナー面白いですね。フリッパーズギターからPモデルまでって広いんだか狭いんだか。戸川純とアングラ、ガロ、丸尾末広、というキーワードのつながりは理解できるけど、フリッパーズギター少年愛黒百合姉妹と人形愛が一緒くたですよ! 人形は流行ってましたもんね。天野可淡の写真集とか出たの90年前半だもんね。こういう雑誌の読者コーナーやイベント情報見てると当時のことが如実に思い出されます。P−HOUSEで岡崎京子展とか。猫耳。あったあったーみたいな。かと思えばSMの相手探しもあったり。いいかんじに自意識がスパークしてます。思ってたよりも90年代のある種のフィーリングに自分が感化されていたのかがわかりますね。書いてあること100%くらい理解できる(笑)。

 今読んで過去と記憶が繋がる。私はかなり過去のことを覚えていますがなぜかといえば、何も考えずにその時のモノを取っておいているからです。自分が体験したことを残しておいたから。その結果がユリイカのサブカルVSオタクに生かされましたが、女子の場合けっこう、捨てちゃうんですよね。チラシとか雑誌とか。なんでかというと当時、コラージュしたり、ミニコミ作ってたのでそのネタ元として。ほら、雑誌って安いじゃないですか。
 今だとインターネットのGoogleイメージ検索があるのでここまで必死にならなかったんだろうな。自分が好ましいと思えるモノが少なかったからその少ないきらめきだけを残しておきたい!それだけで世界を構成しないと息苦しくて死んでしまう!世界を編集しなければ生きていけない!みたいな切実な自意識と自己顕示欲がないまぜになっていたんでしょうねぇ。って当時の日記などもあるのでいまだに私は過去の自分にアクセス可能です。

 そういう状態にしておくとけっこう、大人になるのも楽しいものです。