吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

がくえんゆーとぴあ まなびストレート!第9話観たよ〜。でも、主に『スチームボーイ』

 の感想を書こうと思ったのですがもろもろあって書く時間がありません…。そして、芽生ちゃんの声優をなぜか間違えていたという事実と、『スチームボーイ』があまりにも大友克洋作品らしすぎる件にショックを改めて受けます。劇場公開時にも観てるんですが昨日、なぜか深夜放送でやってたのでうっかり観てしまいました。そんな時間ないのに…。

 んで、私の『スチームボーイ』語りも話し出すと長いですよ…。訊きたくないですか? 一言でいうと、なぜ、大友克洋が好きな人がこの作品を嫌いなのかまったくわからない。です。予めマイナスイメージを持っていて「やっぱりAKIRAにくらべてスケール小さいね」と言うセリフを語るためだけに『スチームボーイ』が観てるみたいな感想を読むとファンとしては「違うんだー大友克洋は違ううんだーーーーーそういう観方じゃないんだ〜」と思うけど楽しみ方は千差万別ですからね…。むしろ、これぞ大友なんですけど。初期の四畳半SFモノ(勝手に命名)&やたら白い絵のあたり(『ハイウェースター』『さよならにっぽん』『気分はもう戦争だ』とかのな)とアニメだと『工事中止命令』『ロボットカーニバル』『最臭兵器』とかに顕著な大友克洋特有のギャグセンスみたいなのがあってその文法を理解しないで、壮大なスペースオペラ…じゃなかった、超大作を期待するから楽しめないんだよな〜。構想9年。総制作費24億円のせいでそう思っちゃうのは仕方ないんですけど。他の作品と構造は全部一緒なんですよ。作って破壊するだけ。今回は破壊しつくさなかった代わりに現実の都市をぶっ壊したところがミソ。あと、大友克洋がこの作品でもっとも言いたいのは「人の話は最後までちゃんと聞こう」だと思うぞ。少年はいろんな価値を見て自分で決めるんだという。声優のしゃべりがつらいとかいう話もよくある感想ですが何故そうしたかというと明らかに「その方がオモシロイ」と「説明部分はなんか難しそうなことしゃべってるなーわけわかんねーよ、と客に思わせればそれで良い」と、大友克洋が思っているからに違いないです。「レイ、ならんならんぞ!やつらにスチームボールを渡してはならんのじゃ!」といかにも爺然とした口調で一見、耄碌した爺さんがすごいパワーで動くところが大友流「笑いのツボ」なわけですが、はっきり言ってこれって大友文法を理解していて、さらにそのセンスが好きじゃないと、わからないんですよね…。そこで面白がれるか「作品としてレベルが低い」と斬り捨てるか、なんですが私はめちゃくちゃこういうの面白いんですよね。なんつーか「また大友克洋がやってるよ!」という安心感。AKIRAと同じ「自分の手に余る大きな力は破滅を呼ぶ…」だしね。アキラがスチームボールになっただけだからね!やってること同じ。これのちょっと前に関わった『メトロポリス』も同じ。

 あと、私の中では『スチームボーイ』で人は一人も死んでません。だって、あんな危険な目にあってて死なない発明一家三人がいるのに人が死ぬわけない。血もあれ、血のりですから。安心してください。って、アニメなのでもちろん死んでるわけないんですけど。なんか、そういう気にさせるます。まがいものっぽいというか。そして、そこが逆にイイと思うのでした。

 それと、観てて思った妄想が「すわっ!これが大友克洋からのエヴァンゲリオンの解答か!だから、綾波レイ=レイ?理想の息子像?スカーレットはアスカかよ!?」でした。スチーム城が動くのは、当時、宮崎駿監督の『ハウルの動く城』と公開時期が同じだったことから、大友監督が「ハウルの城が動くなら、スチーム城も動かしちゃおうゼ!ゲラゲラ」と思いついて動かしたんじゃないんだろうか…とか思っちゃうのでした。だったらいいなーという妄想ですが。

 で、まなびストレート!ですが、想像どおりの展開になってきました。やたら「メジャー」という言葉を連呼しているし。この作品のテーマは「受け手と作り手の理想的な関係」と、「理想的なもの作りのためのチーム」について語っているような気がますますしてきた。と、いうとー私のやっていた「薔薇×薔薇」のイベントテーマとかなり、かぶるところもあって、作ってる方に直接、お話を訊いてみたいあ〜とか思っちゃいました。(←いや、それは…というツッコミもあると思うが。事実、自分が及び腰だ!)
 まだ、第9話だし、要素としてはもちろん、それだけじゃないことはわかっていますが…私が気になるのはその要素だな〜。

 あと、園長先生と視聴者のターゲットは立場が似ている。2007年の今、私たちはエヴァミサトさんじゃないが「しっかり生きて」いるんだろうか問題ですね。叩きつけてるのは。しっかり生きる(=何かに熱中して成し遂げようとした経験があれば)、未来は変えられる。また、成功しなかった過去があるから、違った未来を夢見れる、という。何かを失った or 失敗した経験があるキャラがいるはずだとは思ったけど、園長先生がその役割かー。私たちがまなびたちに「学園祭、何が何でも成功して欲しい!」と強く思えば、30年後のまたびたちのいる未来はかわるかも知れない…みたいな。ベタな深読みですが。ははは。

 印象的だったのが学園の新らしい校歌や制服が「具体的な成果物」としてすでに提示されているのに対し、まなびたちのワクワクやきらきらは「印象」でしかないところだなー。前の感想にも書いたのですけど、多くの生徒(=新しい物事に対して常に否定的/出来上がった完成物にしか判断を下せない/権威に弱く自分の価値判断を持たない/積極的に自分から関わらない…という特徴)に対するカウンターが欲しいんだろうな。当事者になること関係していこうよ!という呼びかけ。私はそういう考え好きですよ。そして、実感としてそれは「ある」と思ってる。こういう熱血モノってテンション上がるし、やる気が出るよ。元気出タヨ。
 
 とりあえず、敢えて!日記書いてる場合じゃなくって目の前の仕事を片付けなくては!!!
 同時にいろいろいっきにやってるほうが私は調子イインデスヨね。