吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

受け手2.0――ゼロ年代はプロの受け手を目指せ!

http://www.sbcr.jp/bisista/mail/art.asp?newsid=3302
 メルマガ「週刊ビジスタニュース」に先週寄稿した分がバックナンバーになって公開されました。ここ2年ほど隙あれば真剣10代しゃべり場並に考えている受け手問題についてまとめて書かせていただける機会をいただきました。具体的に何をすればいいのか、までは書いてませんので「こうすればいいよ!」などのアイディアをこの原稿がきっかけになって考えられたらいいな、と思ってます。タイトルはウェブと受け手の字面が似ているというよく分からない判断のもと提案したらそのまま通ってしまいました! 内容は一見、硬派に見えますが遊び心は忘れませんよ。
 
 ビジターニュースですが、去年は単著でいっぱいいっぱいで他で書くのをセーブしておりました。今年は春に一段落ついて5月の文学フリマが終われば目先の忙しさから解放されるのでバシバシ書いていきたいところ所存。いままでわりとウェブ寄りの文体を意識してましたが、今回は紙媒体向けの文体にしてしまいました。してしまいました、って何だって話ですが。書いてみたら、意外と新鮮かもとか思って。どうも曖昧模糊として書いてある文章を読者に咀嚼させるのもなあ、と。レビューや論考などは、なるべく誤読しそうな表現は避けて、読者に無駄な体力を使わせないようなスマートな文章が書けないものか、と努力する余地は常に。しかし、魅力がなかったら元も子もないんだよね。という心の振れ幅で書いてます。もう、最初の頃『ユリイカ』で書いてた文章は編集者に校正されまくりーで、無意識的に書いてましたが、今は、意識的に「何を」「どのように」「伝えたいのか」を考えれる余裕が出てきました。亀仙人の甲羅を背負って牛乳配達の毎日ですよ。
 
 何はともあれ、体力を養わないと、続けられない/生き長らえられないもんね。自分がまだまだだと思うとき、いつもまだまだこんなにも未来がある! と希望がわきます。とるにたらない存在、だからこその余地。私はそれが心地好いんですわ。創り手も受け手も送り手も誰もが、遠慮せずに拮抗できている<状態>。それを最も好みます。誰かの意見だけに塗り替えられた世界ほどつまらないものはないので。この状態は非常に不安定で、ちょっとしたことで、役割の大きさが変わったりするから慎重に。立場の違う相手への配慮と義理、モラルを忘れるとすぐさま不均等になる。すばらしいバランス感覚でそれぞれがちょうど好くなっているのは奇跡。どうせなら、ソコントコはパーフェクト・ワールドを目指したいものです。理想がない現実ほどつまらないものはないゼ。