吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

オーストリアの伝統料理の店へ赴く。途中で宇波くんと道ででくわす。どうでもいいが、こうも毎日、宇波宇波と書きすぎだ。書きすぎだが毎日毎日顔をあわせているので仕方がない。はてなダイアリー同士、よろしくやってろという近藤さんのさしがねか。そんなわきゃあない。タモリか、私は。
店に入ると私が考えたドイツ人みたいなおっさんがたくさん。ビールを飲み大いに盛り上がっている。店内も絵本の中のみたいであった。はと時計もベストマッチ。やりすぎなくらいだ。
今日はここにウィーンのお仲間たちが勢ぞろいするらしく、奥の予約席へ。そこで大きなのっぽの古時計でも直しそうなウェイターのおっさんに注文。ウィンガーシュニッケルやワビアー、スープなどを頼む。
この時点で、私は昨日あまり眠ってない上に、レコーディングの疲れが最高潮に。眠くて仕方なし。
うまいビアを飲みながら今後のエディットについてクリストフトと話し合う。私はぎっちょきちょにエディットしたいので録音物を全部よこせと言ってことなきを得る。

しばらくして、お仲間たちが勢ぞろい。頼んだウィンガーシュニチェルは重く、顔くらいの大きさ。わらじ大の薄いカツレツ。リンツで食べたときは変な甘いタレがかかっていたがここはそのまんま。味が単調なのでTVチャンピオン、大食い選手権ごっこなどを一人でやりながらこしょうを大量にかけてがんばって、半分食べる。宇波くんはぺろりと平らげていた。どうせなら半分ずつで十分だったのに。違う味の食べ物も食べたかった。一緒についてきたサワークラフトはすっぱくてうまかった。その時!クリストフが私の飲んでいたワインをぶちまけ、宇波くんと私のコートにしとどに零れ落ちる。私のコートはあまりぬれなかったので良かったが、宇波くんのコートは大惨事に。裏の毛皮にワインが吸い込まれていった。それを見ていた、カイが「塩をふりかけるんだ!」と助言。まじかよ、オイオイと私は思ったのだが、宇波くんは言う通りに塩をふりかけていた。食うのか、コートを。
「多分、塩が水分を吸い取るんだよ!」などと宇波くんは言っていたが、それは絶対、嘘だと思う。ワインの上に、お塩なんて・・・どうかしているよと思ったが口に出しては言えなかった。いや、言ったか。
その後、宇波くんが泊っているアトリエへ寄ってメールとネットで日記の更新。2日間、チェックしていないのでちょっと心配であったが、特に問題などなく良かった。ウィーンの情報や音楽関係の人ではてなも見ている人がいて、いろいろとうれしいメールをいただいた。この場を借りて、感謝!どうもありがとう。励みになったよ。今回、ふつうの音楽日記を書き連ねているのでまったく言及されていない。当たり前か。そのかわり、自分のサイトからのアクセスが多い。うー、いつもの日日ノ日キを楽しみにしている方にはつまらない話が続いていると思うのだが、これを書いている私も紛れもなく私なのでご容赦願いたい。ニポンへ戻ったら数日のうちに以前の狂った更新量に戻るので今しばらくお待ちくださいネ!ネ!じゃねえええええ!
これをきっかけに、日日経由からの音楽がらみメールもいろいろきたのはうれしい。私の音楽をもともと知っていた人で日日をみはじめ、いろいろと音楽以外にも興味(マンガとかアニメとか変なサイトとかか?)が広がったと言ってくれる人や、今まで孤高の存在で近寄りがたかったカリスマミュージシャンの私に親近感が沸いたとか、こいつ実はものすごく頭の悪い人だとバレた上、失望しましたと一体、私に何を重ね合わせ期待していたのかわからない人など様々だ。人の一側面を見て勝手に理解しないでいただきたい。所詮、他人なのだから完璧にわかりあえることはないのである。その上で、歩み寄ろうというのが美しいのだと何度も書くけどまた書いておこう。理解するとは相手の気持ちになること。それは自分で想像することでしが相手を知ることはできないということだ。わからない、理解できないだから、面白いし、また、他人に自分の考えを押し付けたところで、相手は自分なりに勝手に意訳してしまうものだから、まったく同じには成り得ない。相手を洗脳し、自分の思いどおりにしたいというのであるなら話は別だが。私はそんなことは面白いとも思わない。違うからオモシロイし、違うことが新しい発見につながるのだ。
相手の考えの一部分に同意することはあっても相手の考えるすべてを受け入れることは絶対にない。ただ、そこで相手を理解できないからと言って自分の考えを押し付けるのは私は好きではない。そこは理解するように、想像するということが大切なのではないだろうか。あなたと相手では生まれた環境も何もかも違う他人なのであるから、同じになれなんて土台、無理だし、同じになってしまったら存在の意味がないと無力感にさいなまれるだろう。いいところだけ、褒めればいいし、どう考えても相手にとってマイナスだと思い、忠告したいと思うのであれば、ちゃんと最後まで責任を持つ覚悟で伝えるべきだ。きちんと関係を結べない相手なら下手に関わり合って相手に教えてやったなどという優越感を持つべきではない。お前は何様なんだと自分に問え。誰かに積極的に影響を与えるということに対して私は慎重になる。ちゃんとこれからも付き合っていきたいのなら、ケンカもする。だけど、そこで「ハイ、あなたとはもう終わりです」という絶望的な断絶は待っていない。そういう断絶が目的ならケンカすることが徒労でしかない。私はきちんと長くつきあっていきたい友人とははっきりと言葉を交わすし、無理はしない。無理してまで誰かとつきあう気などないのだ。だから、友達が少ないのだろうか…。ある意味、可能性を狭めているのかも知れないがそういう風にしか付き合えないのでしょうがない。来るものは拒まず、去るものは追わず。人間関係はそれくらいがちょうどいいと思うよ。好きか、嫌いか、興味がないか選択肢は3つあるのだから。