「まあいい。おれが悪かった。許す」
という「謝罪」と「許し」の両方をかれに引き受けさせる根拠といえば、それは「自分がこの共同体のフルメンバーであるのだから、だれに責任があるかなんて問題ではない。じぶんが共同体を代表するという責任があるだけだ」という自らの立ち位置への認識なのだろうと思います。
対して、「おまえが悪い」といいつのるひとは、じぶんがアウトサイダーで、無垢で正しいと思っているわけですが、そして自分の立ち位置に対してはほとんど関心が無く、その正しさはいつも「おとな」から補償されないと我慢できないという意味では子どもでもあるわけです。
つまり、おとなは「謝罪しながら許しをあたえ」、子どもは「断罪しながら許しを乞う」という関係にあるというわけです。(東京ファイティングキッズ/平川克美から内田樹へからの引用。強調は私が勝手にしました)
それだ!これだ!それなんだ!子供と大人はどう理解しあえばいいの?しあえるの?この問題も私を時々いらつかせ混乱させる。子供を持つ親はこの辺どうやってやりくりするのか。いや、大人なら謝罪しながら許しを与えられるのか。そうか、私はそれができないというときは多分、断罪しながら許しを乞う場合であるのだろうか。しかし、同じ立ち位置で共同体を運営するとき一方が子供であった場合、どうすればいいのだろうか?教育させると割り切って、ゆっくりと教えるべきなのか?それともネグレクトすべきなのか。野生児を人間にするくらいムズイ問題だ。