吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

みんな必死で生きている。

 自分は作り手のことしか考えてないと思った。
 有言実行できないのが不思議。問題意識があるならそれに対して動くことをしていく、提案するのが普通だと思っていたけど、そうでないのに作り手だという人もいるのが矛盾してるし、作り手として尊敬できないと思った。それから私は受け手のことを軽視していないけど、理解していないと思った。まあ、そういうわけでイベントをやるわけですが、自分にない要素を持っている人を理解したい、理解した上で判断したいと思います。許しがくるのは理解のあと。

 問題意識があるから、なんか作るんじゃないの?

 ということは問題意識(間違っててもね)があるから子猫を殺したという坂東氏は作り手としては間違ってないんだろうねー。論理的には正しいけど、倫理的にはどうかなんでしょうか。と問うことくらいしてもよい。

 とか思うんですけどそれがなくても何かするのはおかしいし矛盾してんなーと思うけどどうなんだろう。だったら素直に消費者でいいじゃん。きっとそう思う人は消費者=受け手を下だと思ってバカにしてるんだなと思う。最低。私は結局、作る人だと思うし、そうだから相手を理解できないって言われると「だから知りたいと思って」ますよ。

 特に自分のやってる活動なんてお金になんてこれっぽっちもならないし、メリットよりもデメリットが勝る。けれども、そうするのには理由があるからやっている。

 坂東氏は表現者としては、正しい。
 けれど、人としてどうだろう。
 そして、殺しをともなってまで、何かを表現をする、ということを私は悪趣味だと思う。

 フィクションでした!ならいいけどね。

 そうだといいなと、思います。

 ふかふかのかつおぶしのクッションでニャ―。

 その希望は最高が過ぎる。

 つーか、表現なんていうことをする人はもっと必死であって欲しい。止むに止まれる事情があって欲しい。それっくらい必死でなくちゃあ、こんな不自由でどうしよーもない何かを誰かに伝えるなんて行為しちゃ、ダメだ。

 なんつーか知らんが、私は弱い。弱すぎる。それに気がつかなかった。なんとかなる、努力すればどうにかできる。そう、人間はコントロールすればかなり思い通りに生きていける。

 なんて、思い上がってますね。

 できないことはできねえーよ。
 それができないことを負い目に感じて何もできなくなるのなんて意味ない!

 それでも、

 と、出る瞬間。

 私はそれを大切にしたいし、そう思わないなら何かを作るなんてこと、してはいけないと自分自身に自戒するのであった。

 涙から明日へ。