吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

アミ&まみ相談第二回掲載の濃縮雑誌エクス・ポ2、通販予約開始!

http://headz.cart.fc2.com/?ca=44&fcs20=0c634f4c5bc22f010c0da79bae254e36

 されたそうですよ、みなさん。HEADZオンライン・ショップにGO!
 すごい!ちゃんと出てる!続いてる!それだけで驚くのもどうかと思いますが、今回も賑やかなメンツ。

エクス・ポ第2号は、ますます限界ギリギリまで濃縮されてます!!!
今回もA4サイズフルカラー16ページ、専用エンベロープ封入です。

エクス・ポ2はこんな内容です!!!

スペシャル・フィーチャー
にせんねんもんだい
岡田利規チェルフィッチュ)×矢内原美邦(ニブロール
万田邦敏(映画『接吻』)
佐々木敦 「『絶対安全文芸批評』刊行記念、冬休み読書日記」

●新連載
栗原裕一郎「天然無添加論壇時評ロハス
西島大介西島大介の裏マンガっち

●連載
古川日出男異種格闘技連続対談フルカワヒデオプラス」第2回:黒田育世
吉田アミ雨宮まみ「アミ&まみのお悩み相談室」
中原昌也「親指王子ケイ勺イ日記2」
松江哲明あんにょん由美香
鈴木謙介「うろ覚えの"J"ポップ時評」
福永信福永信の、この常設がすごい!」「福永信の、この饒舌がすごい!」
冨田明宏「アニソン〈裏〉入門」
大谷能生「さよならの言い忘れ」
青山真治「3弦と4弦の間にバスタムを」
生西康典「中心の行方」第2回:角田俊也
藤井仁子「また歌うために」
豊崎由美×仲俣暁生×佐々木敦「プロフェッショナル読者論」

●連載小説
円城塔「後藤さんのこと」
荻田洋文「¥OUR VOICE」
冨永昌敬シャーリー・テンプル・ジャポン・パート7」

●連載マンガ
スズキロク「アンドハニー」
宇波拓/泉智也「猿の手

 何気にうちら(with まみりん)がヤングチームに分類されてますね!

 以下は読んでないで書きます期待のお話。

栗原さんも参戦ですか! 私は栗原さんの原稿でグッと来るのは、ちょっとヘタレた情けない優男と愚痴風味みたいなのがピリリ効いてると妄想力が高まりまくります。イメージ、ムーンライダーズの歌詞に出てくる男です。今までだとユニクロの記事なんか秀逸。情けなさに哀愁と愛嬌があるとグッと人間味があって楽しめますよね。(笑)とかも多用してもらいたい。と変な期待。

豊崎由美×仲俣暁生×佐々木敦「プロフェッショナル読者論」ですけど、これはちょっと面白そうですね。私が前に未映子さんとやっていた「薔薇を生むわたし。薔薇を愛でるあなた。〜あなたともう一度、共犯関係を結ぶには〜」*1というトークイベントでは、創り手×受け手の新しいかたちについてしつこく考えていたのですが、「プロの受け手」という役割がある、として私は思うところがあって。受け手にプロなんてなんじゃそりゃ?なわけですが、いろいろやってみて、やはり、受け手にも歴然とした差があるのは感じるんですよね。評論家や単なる批判家でもなく、受け手であることにプロ意識を持った人って、実際、いるじゃないですか。んで、私はそういう人ってカッコイイ!と思うんですよね。作品を自分の自己顕示欲のためだけに貶めるよーな矮小な人でなく、もっと広き心で愛しているという。その上での、批判は読めばわかるし、表面をなぞっただけで、駄作の烙印を押すような、言葉に対して鈍感で無知な人は苦手だ。だからと言ってわざわざ助言する気もなく、自分はそうならないように気を付けたいと思うだけだけど。批判というのは影響力がでかい分、簡単にできないと感じるよーな繊細さは持ち続けていたいもの。

まー創り手が創った作品を受け手が受け止めるという関係上、 ここに上下関係を持ち出して、見下すような創り手や、卑屈になってしまう受け手が出てきてしまうのですが、これを私は「不幸な関係」であると思うんです。では、不幸な関係ではない、理想的な関係ってなんだろう? と思ったときに思いついたのが「共犯関係」だったんですが、これは少し煽動的すぎる言葉(犯罪じゃないしね!)ですよね。でも、それくらいの切迫さと気負いが欲しいという思いを込めました。このときは理想がある、理想を求めよう。くらいの曖昧さだったんですが、「プロフェッショナル読者論」で一つの指針のようなものが提示されているのなら、興味あります。

佐々木さんのBRAINZ*2の第二期で、エクス・ポにも執筆されている松江哲明さんの講座「正しい質疑応答への道程(みち)」のインフォメーションにも、

http://headz.cart.fc2.com/ca40/196/p-r40-s/?fcs22=a73b5d76ff15d8eee442db16bbcbf144

僕としては受け手がもっと積極的になって欲しいのだが、どうにも「手を挙げる」、そのことに抵抗があるのかな、と思う。
恥の文化」なんて映画というコミュニケーションにおいてはどっかに置いといて欲しい。
作り手にとって最も大切なのは上映するその場、そしてその時の観客のリアクションなのだから。
そしてそんな質疑応答や批評が生まれることによって、次作への大きな糧となっていると言っても過言ではない。ホントに。

という訳は本講座では映画に積極的な「正しい観客」を育成したいと思っている。

という言葉があって、私はこの受け手を無視しない、創り手の視線にものすごく共感する。むしろ、そっぽを向いてる受け手の目を正視しちゃうような、無関係なんて言わせないぜ!みたいな創り手の言葉を読むと、テンション上がりますし・そんなふうなことを考えてしまう誠実さを快く感じる。だって創り手が受け手に絶望したら、それで世界は終わりじゃないか。死んでしまった終わった世界で、何かを創っていても不毛(それでも、やるんだというのも大切だ)だし「どうせ誰にも理解されないでしょうけど」とういうスタンスは、受け手に伝わっちゃって「何を上から目線で」と無駄な上下関係が生じてしまってめんどくさい。創り手は傷ついても、期待して、希望して、創り続けなきゃ。そこは切り離そうよとか思ってしまう。受け手はもっと、言葉を伝えて、相手の真剣真剣で挑んでと、期待してしまう。

てなことをずいぶんとことあるごとに言ってるので、自分のお客さんは気さくに声をかけてくれる人が増えてきて、私はそれがめちゃくちゃウレシイ。自分の出版記念のトークでも質疑応答でお客さんがナイスなつっこみをしてくれて、その際に「おお!プロのお客さんだ!」と思わず声を上げたほど。この、プロの受け手の言葉が疑問が期待がどれだけ創り手のモチベーションを上げるか想像しにくいと思うけど、個々の力は少しでも集まりゃ元気玉クラスのエネルギーですから、ほんのちょっとの勇気で何かが変わるならやらないよりはやったほうがいい。好きなら好きだと伝えた方がよい。絶望するのは早すぎる。と、繰り返すよ私は。

とまーそんなことを考えておりました。