吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

音に出会う


KAWADE道の手帖「武満徹 没後10年、鳴り響く音楽(イメージ)」

武満徹と対峙し、自分の中の<声>に対する態度と意思表明を明らかにした。「声をかけたのは誰か」を寄稿しました。

の自分の原稿を読み直していたんですけど、不意に、このあいだ共演した詩人の吉増剛造さんの文章に気がついて(遅いよ!)読んで驚きました。この原稿書いてるときはもちろんこの原稿を知らなかったんだけど(74年の再掲だから探す手立てはあったはずだが、事前に読んだ記憶なし)二人とも時空を超えて「音に出会う」という表現をしていて、鳥肌が。音に取り組む姿勢にも似た供述があり、これは不思議な符号と運命で合うべくして出会ったという今思えばこのあいだの共演は奇跡的であったとしかいいようがない。音楽では奇跡が何度も起こるのですよ。あーあと5年か10年たったらまた共演したいなあ。

しかし、ほんとうにまったく何も意思の疎通をしていないのに共演しただけで、すべてがわかってしまうという音楽の超越的なすごさ。これはやってないとさすがにわからない感覚だと思うけど、もう、ほとんど超能力の世界ですよね。この知っている経験があるからこそ希望が持てるのか。文章ではどこまでできるんでしょうかね。まあ、共演というのは文章では難しいことなんですけど、いつかは挑戦してみたいものです。どうやるのがベストかわかんないけど。音楽ってすごいなあ。