吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

人生からポエジーを引き出すより、人生をポエジーに変える方がよいのではなかろうか?

初版への序

 おそらく書くことを正当化する唯一のものは、書くという行為が、ある日われわれがわれわれ自身に発した問いかけに、そして、その回答が得られるまでは、一瞬たりともわれわれを安閑とはさせておかないあの問いかけに、答えようと勤めている、ということである。偉大な書物ーつまり、<必要な>本ということであるがーとは、他の人々が明確に表現することなく、漠然と持っている問に答えることができる書物がある。わたしはこの本を生む原因となった疑問が、多くの人々の眠りを妨げるようなものであるのかどうか知らない。そして、それに与えたわたしの答が一般の賛同を得られるかどうかについては、なおさら心もとない。しかしながら、自分の答の広がりと有効性に自信がないとしても、わたしはその個人的必要性に確信を持っている。わたしは詩を書き始めて以来、それは為すに値することであろうか、と自問してきたー人生からポエジーを引き出すより、人生をポエジーに変える方がよいのではなかろうか? ポエジーにおける普遍的感応(コムニオン)は可能であろうか?


オクタビオ パス『泥の子供たち―ロマン主義からアヴァンギャルドへ (叢書アンデスの風) 』より