リバーズ・エッジ/岡崎京子
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/okazaki.html
読了。意外なことにこれ、読んでなかったなあーと思い、読んでみた。
平坦な日常で僕らが生き延びること。
ウィリアム・ギブソン
岡崎京子が作品の中で引用する詩の一節。今にもパルコのCMのキャッチコピーになりそうだ。知ったかぶって書きますが、このころの岡崎京子のマンガはサブカルやら文化人やマンガ以外の評論家にはすごぶる評判が良くって、やっぱり過大評価されている。多分、まともにマンガとして評価されることはこれからもないのかも知れないと思う。
90年代の高校生と言えば私もまったくドンピシャリな岡崎京子リアル世代なのですが、高校生の頃の私は昔の少女漫画発掘に燃えていたので岡崎京子にあんまり感情移入ができなくなっていたような気がする。ああ、わかったなんで私が感情移入できないのか。岡崎京子は時代の雰囲気を取り入れるのがうまい作家だった。時代のうわずみを拾って時代の代弁者でもあったわけだ。私はあの時代が好きではなかったので、あの時代の不毛な雰囲気が苦手なのだろうと推測してみる。閉塞した世界を描いて強くなる、というセンスがあんまりグッと来ないのかもしれない。なんでだろうかー。やはりそこに岡崎京子の狡猾さやロマンチックさを感じ取るからだろうか。好きな人はきっと岡崎京子=青春そのもの、なんだろう。
あと周りのお姉さんらには総じて評判が悪く岡崎京子=パクリという悪いイメージがあった。マンガをあんまりしらない時にきっかけとして読むのは良いけど、昔の少女漫画(つーか大島弓子)の方がずっといいと思ってました。ちょうど、小池一夫を引用したマンガが遺族に怒られたりしたこともあったし、あと、よくなかったといまだに思うのが現代美術の作品とかゆって展覧会やったりしてたのもマイナスだったよーな。マンガと現代美術が歩み寄り始めたあの頃のなんだか居心地の悪い感じを思い出す。漫画家なんだからマンガ描けよとかなんとか思っていたような気がする。
そんな時代、Cutieに連載されたこのリバーズ・エッジ。これが好きだという人の気持ちもわからなくもないが、センチメンタルすぎて私はあんまり好きじゃない。というか恥ずかしく思う。私は高校がデザイン学校だったので、熱に浮かされていたようにフリッパーズギターとか好きな子がいっぱいいて、ものすごく「ナンダコノヤロウ!そんなメジャーなのがイイノカヨウ」と自分以外の人間を卑下した部分のあるキマヅイ人間だったのでそういうあまずっぱーいイターイ自分を思い出して違う意味で切なくなります。
淡々と描いているようで夢見がちで執拗に乙女ちっく。岡崎京子は生粋の少女漫画家だと私は思うのでした。
関連:http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20030602#1054533882