吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

解説

http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20050519/1116495842
なんでこんなことを書いてるのか意味不明だと思うので若干、補足も兼ねて。
これは批判されるとやる気なくすクリエーターへの防御策として提案したい愛論なんである。

残念なことに素晴らしい作品を作る人の中には社会的な何かが欠落してしまっている天才というのは確実に存在していて、そういった感受性が強すぎる人たちはわりとちょっとした批判でもノイローゼになってしまってこれから私たちが楽しめたかもしれない作品に影響を及ぼす危険というのは本当にあった話である。
ほんのちょっとの言葉尻に怯え慄き妄想して煩悶し傷ついてしまう。常人では理解できないようなところで、だ。だから、天才なんだってば。天才は。
今の時代、批判や罵倒があまりにも簡単に発信できるし、そういった批判に編集をする人が居ないためダイレクトに評判が届き、特に今まで知らなくても済んだことが届いてしまう。かといって、それを阻止するのもまた新たな天才の目を摘むようで忍びない。狂人も天才も人の目を気にしはじめたら正気に戻るのだ。

かといって、感受性の高すぎる純粋な天才や子供はネットやるな!と言いたいがそういうわけにもいかないだろう。

天才や子供は守らなければならない。
自分のためにも。

私は絵が、絵描きが好きなんだ。自分自身のために絵を描いている画家たちがね。(中略)
野心はあっても一番大切なものは見失わない。そういう画家だよ。洞窟にこもり、誰に見せるわけでなく巨人の絵を描いたゴヤのような、そういった画家が私は好きなんだ。本物の画家が描く絵は祈りにも似ている。(ラッシュライフ/伊坂幸太郎

残念ながら世界は人が溢れ返っていて、どこにいても誰かの目が気にならないような洞窟のような場所は減った。何かをすればすぐにそこはステージになって観客に注視される羽目になる。そういった状況でエンターテーメントできるものだけが、客と対話できるものだけがオモシロイものであるわけがない。ゴヤのようにひっそりと誰にも気にかけられないことでなくては、できない作品もある。図太い、無神経な人の作品ばかりがいいものだとは限らない。確かにかれらは商業と芸術を巧く天秤にかけることができる両翼をもった才能を持っている秀才であっても天才にはなれないのかも知れない。

天才とキチガイが生まれにくい世の中だ。
それはつまらない世の中でもある。

私が提案したいのはどんなことであれ、すべては愛のせいなのだと愛に責任をなすりつけようという方法だ。あなたに愛があるから、行動する。行動の原理は愛だ。ほんとうにあなたを嫌いならあなたなど居ないことにしてしまう。あなたに愛をかけることで自分がここに存在するという愛を知る。私たちは愛し愛されて生きるのさ。とかいうフィーリングはどうでしょうか?という話でした。

その愛が、自分にとって不要なら無視するのが一番の対処法。
その愛が、自分にとって必要だからつい反応してしまうのがあなたの愛だ。

ということに気が付く勇気があればきっと世界は愛で満ち溢れるでしょうとかいうのを最近、よく思うので書きましたのでした。おしまい。

愛は希望で希望は愛で祈りで願いだという話です。ほんとにおしまい。